ハンプティのブログ

ハンプティ・ダンプティのように、いつもずっこけぶりを発揮しています。

ダンプティ親父の佐賀思い出日記

ダンプテイ親父が佐賀勤めのとき、彼方此方と散歩をしていましたら、古びた碑を見つけ

そこには、

侍とは 死ぬことと みつけたり

と、刻まれていましてね!

調べてみたら、この言葉、葉隠れの山本常朝の心得だそうで、「山本常朝」は、佐賀の7賢人には含まれていませんが、葉隠の産の親は、で、武士道の心得を広めた人らしい。

ハンプテイも「ときが今、今がその時」と、武士は、直ぐに死ぬ覚悟が必要だ」と、いう格言程度は、承知しておりますわ!

迷っていては、桜が散ってしまい、自決の機会を逃してしまうというのが、この格言の解釈ですね!

ダンプテイも浮気をしたら即刻切腹ということですから、御覚悟をお願いいたしますわ!

これは,これは、ハンプ様、恐ろしいことを申されます。

ところで、「いまがそのとき」は、今流に言えば、林先生の「いまでしょ」ですね!

この葉隠れ精神は、江戸時代、更に、乃木将軍の自決の明治まで引き継がれ、さらに日本は、「散る桜 残る桜も 散る桜 何時か散る身の今ではないか」と、鶴田浩二が神風特別特攻隊で歌っていましたけど、武士道が戦争にも活用された。

この散る桜 残る桜も散る桜 は元はといえば、.良寛の辞世の句ですけどね!

花は散るは、藩主のためにとか天皇のために、潔く死んでいく花言葉ですからね!

たとえば、浅野内匠頭が江戸場内での抜刀事件で、即刻、今がその時と切腹を言い渡され自決したときの辞世の歌にも、

風誘う 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん

「ダンプったら、またまた文士気取りの和歌が飛び出して、ハンプも文学や歴史論では、負けてはおれませんわ

名利薄き士は,今日の用に たたざるなり

と、武士の名に、あるいは、武士の名利に恥じないための行動として切腹に始まり赤穂浪士の仇討という悲惨な事件につながったのよ

侍に名利を求めさせるなんて、坊主の戒めを解任するようなもの」とハンプテイは、思うけど

それこそ、ダンプティのような男好きのツルリン坊主には、戒めの解任なんてもってのほか

マー、チイもビックリの頭ツルリンのおめめはなんとピンク色のアルマジキ

がご登場

葉隠れに 頭つるめて アルマジロ

我がダンプテイ親父がは、終に坊主にされるとは、あるまじき!

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アルマジロは、臆病な動物、敵が来ると身をまるめてサッカーボールのように,まるまるだけ、

それこそ葉隠れ状態で武士の魂もどこへやら、アルマジキ振舞いのダンプテイ親父の振舞い、これこそ、アルマジキで切腹もの

ハンプティも輪をたたみかけるように、我が娘、チイもよく言ってくれました。

これこそ、この枇杷の木に潜むアルマジキ葉隠れの坊主では、ござらんか!」と、ダンプテイを懲らしめる。

あるまじき ひそむ葉隠 枇杷二つ

葉隠に潜んでいる枇杷の実二つって、何なことでございましょう」と、ダンプティが問えば

知ってるくせに、このカマトトダンプ親父!

「男の宝物の枇杷の実二つでございま」と、申すとは、チイもなかなかさばけております。

「佐賀は、玉葱の県(北海道に次いで全国2位)、枇杷は長崎なので(全国の35%)、この歌の枇杷を玉葱としよう」と、ダンプテイは、思ったけど、佐賀の玉葱はデカ過ぎますから枇杷といたしましたとは、おそれいりやのチイどののお言葉

さて、さて、佐賀の殿様が葉隠の下に覗かせていたのは、枇杷の実で、殿様の隠し種だった。

葉隠 隠し種 枇杷の種

ダンプテイ殿様が登場されたお姫様の登場ですね、佐賀の姫といえば、言わずと知れた佐用姫にご登場しですわ」、それに、領巾を振って、こんな助平ダンプテイ親父には、オサラバして頂かないと」とハンプティ!

ハンプテイ姫殿、その佐用姫とは、何者でございましょう、と問えば、ハンプテイ

女が男に逢いよることを袖を振ると言ったそうですね、あたかも愛犬が好きな主人や相愛の犬に尻尾を振る様に

あかねさす 紫野行き標目行き 

野守はみずや君が袖振る 額田王

「今は天智天皇と付き合っているけれど、貴殿(大海人皇子)が、私に気があって袖を振っていたら、見張りの野守がこれをみて、秘めた恋がばれてしまうじゃないの」と、歌にしたら

大海人皇子は、この歌を聞いて、歌を返します。

それが 
紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに我恋ひめやも  

このハンプテイの古典談義に頷いているチイ、言葉の意味も長い時間を経ると変貌するものですね、今では袖を振るといえば、恋人を捨てることの意味だけど!

古来は、女性が袖を振るという仕草は、纏っていた帯状の布は、領巾(ひれ)と言っていたから、袖を振るとともに領巾を振ることにより願い事が叶うと信じられていて、元は、唐津の松浦佐用姫の逸話からきてるんですよ」と、ダンプティ

備前国風土記には、唐津の松浦佐用姫は、愛人大伴狭手彦が、新羅の国に向かって出兵するときに、鏡山に登り、領巾を振って、その後を追ったという話がありまして、佐用姫は七日の間、泣きはらしたあげく、ついには石になってしまったとされる日本三大悲恋の話の一つ」とダンプテイの講釈は続く。

大伴狭手彦と親族である、大伴旅人もこの悲恋の話についてこんな歌を詠んでいますね!

遠つ人 松浦佐用姫 夫恋(つまごひ)に領巾(ひれ)振りしより 負(お)へる山の名 大伴旅人

チイ:それで、この鏡山は、領巾振山とも呼ばれているのよね!

海原の 沖行く船を 帰れとか 領巾振らしけむ

浦佐用比売 万葉集

無事を祈る仕草として、ハンケチを振ったり、帽子を振るのも昔の領巾を振る仕草の名残ですね!

妹と背との別れの袖振る別れ

妹と背の別れと「いえば、歌舞伎の妹背山

江戸時代の文人大田 南畝も妹と背を分かつのを歌にしています。

あな鰻 いずくの山の いもと背を

さかれて 後に身を焦がすとは 太田蜀山人

チイ:妹と背を割くとは、夫婦の間を割くことで、佐用姫が領巾を振った鏡山でありましょうか!

それにしても鰻の背を割かれる鰻料理をここに持ち出すとは、さすが食いしん坊のダンプテイ

この佐用姫伝承のある鏡山の麓には

虹の松原の風景、100万本の松が倒れんばかりに生い茂っているでしょ!

地元の人の話では、最近は松食い虫で松林も痛んでいるのが悩だとかと、自然愛好家のチイらしいお言葉、更に続く

この虹の松林は、三保の松原気比の松原とともに日本三大松原の一つに数えられる景勝も何時きえていくか心配ですわ!

松原遠く 消えるところ 白帆の影は浮かぶ

「チイさん、この消えるは、遠方から松原が消えていく景観なんですよ]と、ダンプティのチャチャが入り、

この歌の替え歌をダンプティは知ってますよ、こんなだったかな!

「松原父ちゃん 消ゆる母ちゃん 父ちゃんと母ちゃんがけんかして父ちゃんの得意な空手チョップ 母ちゃんの得意なハンマー投げ 見よ青いあざ」

と、ダンプティは腕をまくって、字を見せる仕草

ダンプとハンプの夫婦喧嘩ですか、昔は、頻繁に喧嘩したけど、口喧嘩では負けるにきまっていると悟ったダンプテイ、今では喧嘩にもなりません。

仲良く彼方此方に旅行に行く仲のよい夫婦になりましたからね、何度もこうして仲良く唐津に旅行に来ましたからね!

唐津には、秋に唐津クンチを見学したのが懐かしいおもいで

金魚や青獅子、赤獅子等が、街を練り歩き、彼方此方の街かどから法被姿の若者たちが「エンヤー、エンヤー」「ヨイサー、ヨイサー」の掛け声が響いてくる。

佐賀の男連中は、中々に勇ましいですね!

と、感心するハンプテイ

そうですよ、この地域は、牡蠣の産地、男は牡蠣を食べているから あちらの方も元気もりもりなんですよ!

そういえば、漫画家の水木さん、77歳の御歳でオーストラリアを旅されたときの「精霊の楽園」という本では、大好きな牡蠣を食べて、

牡蠣食えば 朝のマラ立ち 久しぶり

朝マラが立ったと俳句を作られていたけど、ダンプテイも明日の朝が楽しみになってきましたね!

なんて、今でも「俺は現役だぞとばかり見栄を張るダンプテイ親父の発言

ところで、牡蠣には亜鉛が多く含まれていて、性液を放射するには、亜鉛が必要だということが科学的に裏付けされているそうですね!

だから、新婚さんの旅館でのもてなしには、牡蠣が定番だとか

晴舞台 お立ちありたし 牡蠣食うて 

このダンプティの俳句を聞いて、チイの旦那ロン、晴舞台って、まさか新婚の初夜のこと!

今時、新婚が初夜だなんてことはまずないそうですからーー

チイ:いやね、男って、こういう話になると、直ぐに意気投合しちゃって、牡蠣汁を啜ってる。

如月の牡蠣打ち割れば定型を持たざるものの肉柔らかき 道浦母都子

なんて、エッチなこと想像したりして

「男しか、知らない歓喜でしから、女には、無関係のこと」今時、新婚が初夜だなんてことはまずないそうですから、ロンが反論

ところで精力のつくのは、一に牡蠣、二に蒲焼に、三にオットセイともといいますから

牡蠣の謎 亭主はこれを 夜に知り

ロンに負けずダンプテイも得意になって牡蠣の効釈を続ける。

鰻の精(油)で小田原提灯も立派に火が灯ると言いまして、ダラダラの昼行燈も夜になったら立派にお役に立つのは、牡蠣の御蔭とも言いますけど!

ところで、牡蠣を食べると、元気がでるのは、牡蠣の中にグリコーゲンが多く含まれるからで、

このことに、気ずいた佐賀の江崎利一さん、

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江崎利一さん

地元で捨てられていた牡蠣汁を何かに利用できないかと、菓子に混ぜて販売したのがグリコの始まりだとか

実は、創業者江崎利一さん、佐賀出身で、牡蠣のだし汁のグリコーゲンから作った栄養食品の事業を始めて成功し、その後、カレーライスやポッキー、アーモンドチョコ等、商品多角化で成功した男のロマンを感じますね!

チイ:牡蠣のだし汁から出発しての大事業家とは、凄いわね!

他人の蜜とか、褌ではなく他人の排泄物で大儲けなんて、この森に棲息している糞転がしみたいな自然の知恵が活かされている。

ロン:一粒食べれば千メートルとか、ゴールインのスポーツマンをトレ-ドマークにして、グリコのおもちゃ付きで、大ヒット商品に仕上げましたね!

グリコ1粒で何千里って言うから

明日からの男どもの食事は、抜きでグリコ一粒にしようかしらと、チイ

何しろ、食事の手が省けてらくちんですからグリコ様、グリコ様

そんなことしたら、お腹が空いてダンプテイの体はデングリコ!

それこそ、ハンプティダンプティのデングリコの様で立ち上がれない達磨状態

グリコ一粒では、明日からのトレッキングは、無理で、ダンプテイ自慢のデッパラも破れ太鼓や破れ提灯ですわ!

佐賀の名物が出たところで、ダンプテイから佐賀の名物を詩に読み込んでみましょう

佐賀はよかとこ ほんなごて

ガバイバーチャンよかバッテン

一度は、きんしゃい あんたがた

唐津くんちに有田焼

虹の松原  シチリンソウもよかバッテン

烏賊シュウマイも食べまいか

佐賀のバルーンもよかばってん

呼子の名物は、何と言っても透明な活き烏賊の踊り食いというもの、あの味は忘れられません。

透明の 呼子の烏賊や 踊り食い

烏賊は、ヌルヌルして御免だわ!

とチイは烏賊とか蛸は嫌いらしく、烏賊好かないとは,これ、いけ好かない娘であることと申すと。

チイ、イカは烏賊と書くのよね、これは、烏がイカを食べようと浪面に近づいたところ、逆に烏賊に引き込まれて餌にされてしまって、これ遺憾、これ遺憾、

だから烏は烏賊好かないと嫌われているのよ!

と、烏賊好かないの講釈をなさるので、ダンプテイも烏賊好かないについてご教示してあげました。

空を飛ぶ鳥が海浮かぶ腐肉と見せかけて、股間を海面に露わに見せかけての柔軟体操、そこで、久米仙人ならぬ助平鳥が空中から直降下、ついばんだと思い気や、烏賊の足でで、絡めとられることから烏賊と言うらしい。

「マー烏賊好かないことばっかりおっしゃって!」とチイが反論

烏賊の股間を生け簀にして捕まえるという戦法とは、これ、いけすかない男のやり方!

「それに、烏賊好かないとは、なんと下衆な言葉、人を騙すのをイカサマというのも烏賊様の騙しのテクニック」と、いう訳ですねとチイもチンプンカンプンのことを申される。

烏賊様も干せば縁起物のスルメとなるが、これは御足が宜しいようで、(御金が宜しい)という隠語ですね、

それに、結納の品なるのは、「寿留女」と、書いて離婚しないようにという縁起だそうですよ!

烏賊は、げそと呼ばれてて、下足番が客の下駄を10足まとめて下駄箱に整理していたから普通の人間が食べないような物を下足食いというじゃない。

チイ姫が下足好かないと、生の烏賊の足が苦手なら烏賊飯は、どうでしょうか?

烏賊の中に醤油味の飯が詰まっている料理だわね、チイって、いかめし(厳めしい)男って、嫌いなの、例えば、佐賀の大隈重信と申されるお方、イ90センチの大男で、政界のボスだった。

これは、これは、チイがお好みは、ロンサンのような優さ慶応ボーイが好みで、大隈重信の早稲田は御嫌いでしたね!

ここで、ダンプテイ、ロンサンの禿げ頭を指でさしつつ「禿げの悩み事と長州の志士とかけてーー

さてなんでしょう」と謎々である。

チイ、そんな謎々おちゃのこさいさい、「かつらたかすぎでしょ」

と流石である。

ところで、討幕の志士は,薩摩、長州、土佐だったのに、明治新政府の厳めしい大隈重信江藤新平副島種臣など、佐賀藩が多く加わっているのは、何故ですかね?と、今度は難し歴史問題をダンプテイが問えば、

佐賀藩は、薩長同盟までは、静かにしていましたが、藩主の鍋島直正はペリーの浦賀来航の3年前には、すでに領内に日本最初の反射炉を建設し、鋼の製造を重ね、自らの藩でアームストロング砲を鋳造に成功していたそうで、上野の彰義隊での戦いに続いて、会津戦争、函館の戦いなど討幕をなしとげたのは、佐賀藩のアームストロング大砲の威力の御蔭だからですよ!」と、チイが得意顔で答える。

どうして、佐賀は、大砲技術が進んでいたのかしらと佐賀の歴史にロンも感心があるらしく質問をするので、ダンプテイがそれでは、一寸、講釈をと語りだす。

佐賀は、長崎での異国防衛の命令を受けていたから、製鐵溶鉱炉を作り、大砲技術は、わが国では、随一でしたからその記念物として佐賀城本丸歴史館の前にはアームストロング砲残されていますね、

佐賀神社のカノン大砲は、大晦日の午前0時になると爆音と共に豪快に計8発の祝砲をぶっ放して、新年の幕開けの祝福祝いをしているそうです。 

このような先進的な技術は、田中久重の傀儡人形技術にも反映され、

木遇(デグ)も馬鹿にはできません。

このような近代的な技術を駆使してした佐賀の田中久重さん、精巧な傀儡人形を作り、東京銀座に出て、田中製作所を作り東芝の基となった。

83歳でなくなるときには電話機の発明にあけくれていたというから大したお方です。

 

大鵬、卵焼き、巨人」と,大砲は、佐賀の誇りですが、明治維新で活躍した佐賀の七賢人も佐賀の誇りで、佐賀城記念館には、大々的に紹介されていましたね!

その七賢人とやらを教えて下さいな、ハプテイ様

かしこまりましたと、ハンプテイは得意になって語りだす。

大隈重信江藤新平副島種臣は、分かるけど

そのほかに、佐野常民島義勇、大木僑任、鍋島直正で、此の中で佐賀の乱で亡くなったのは江藤新平島義勇ですね!

その中でも、明治維新政府の西洋化で最も活躍したのは江藤新平ですね!

佐賀の乱を起こした大罪人と思う人がいるかもしれませんが、彼こそ、明治政府の中にあって、教育改革で、全国に小学校の制度を発案し、大木高にその改革を引き継いだことと、人権の父と言われるように司法制度を我が国に確立した。

その行政手腕に大久保利通江藤新平の才能に嫉妬し、佐賀の不穏な動きがあるとのことで佐賀征伐の犠牲になったとされる(幕末維新と佐賀藩毛利敏彦)。

それこそ、明治維新に大きな貢献をした佐賀藩ですが、明治政府の中で佐賀藩の活躍に危機感を抱いた長州藩薩摩藩から佐賀は、他藩に妬まれて「佐賀なくよよからん」と、佐賀討伐となって、佐賀の乱は残念な事件でした。

佐賀なくてよからんとは、ハンプテイの古典の知識には感心至極ですね、少し解説お願いしますよ!

「それでは」と、ハンプテイ

これは、嵯峨天皇の在命中に宮中に「無悪善」という落書きがあったので帝が小野篁に読めと命じたら、

篁が、「これは恐れ多くてお答えできません」と言ったら「怒らないから言ってみよ」と言われたために、篁は、「さが(悪)なくてよからん」と、書いてあると答えると、嵯峨天皇は、嵯峨天皇が居なくて良からんというは、怪しからんと怒って、

「子子子子子子子子子子子子を詠んでみよ」と篁に問いかけた。

小野篁は、「猫の子子猫 獅子の子子獅子」と答えて、帝からのお叱りは許されたという漢字の頓智問答のお話ですね、

これで、さが(悪いこと)なくて、一件落着というわけ!

ハンプテイは、ダンプテイが佐賀でのお勤めの際も「時折、ダンプティの部屋の掃除をしなくちゃ」と言っては佐賀に訪ずれて勉強したことの実地見物をしてるから、佐賀にはことのほか詳しいのである。

そういえば、佐賀の乱が起きた城跡は、今は、城がないけど大きな城堀,これを取り巻くように、堀池があり、そこには、きれいな蓮の花が咲いていた。

単身の身であれば、つい妻を想う、この蓮の花

独り身や 蓮の花を見つ 妻偲ぶ

それにしても立派な堀である、さぞ、ここの殿様は、美しい堀の蓮を見て堪能していたでしょう。

その佐賀の殿様になったつもりで詩を一つ

題:佐賀の殿様の想い出歌(侍漫画を見て詠める)

佐賀の殿様禿げ頭  

佐賀の葉隠れどこいった

葉隠なくて覗いてる 

枇杷の実ひとつ立派だな

御堀のお水はどっぷりと

殿のお腹はでっぷりと

楠おばさんありがとう

殿の御鼻もどっかりと

御髭は凛々とダリの髭

御メメはオホホの恋の色

眉はアハハのハの字して

口はガババの河馬の口

今はその時ときは今 

決断忘れて でっぷりこ

この詩を聞いて、チイから何故、楠おばさんが登場するの?との質問 

 

堀端にあったホテル大蔵には、随分とお世話になりましたが、ときおり、御堀の周りを散歩していると大きな楠木が立ち並び、そこには、この楠叔母さんの逸話を記載した看板があった。

楠は、樟脳の材料になると伐採されるのを悲しんだ楠叔母さん

「この木を伐採するなら我を切れ」と訴えて、永久保存されることになったとか

この大きな楠の写真と共に俳句

囀りを こぼさじと抱く 大樹かな 星野立子

をダンプテイが披露すると

マアー立派な大樹、ダンプティみたい!

それに、ハンプテイも付け加えるように

立派なのは、サウナ風呂の使い捨てタオルのように積みあがっているお腹だけ、この詩に登場するダンプティは、葉隠の心もなく、ピンク色の親父、武士魂は、どこへ行ったのかしら!

あるまじき 武士の魂 シクラメン

と、まか不思議な俳句

武士の魂と清々しいシクラメンとはどんな関係なんでしょうとダンプテイがいぶかっていると

ハンプテイ、シクラメンとは和名では、豚の饅頭よ

ダンプテイには相応しい花の名前

ダンプテイ親父には、天に向かって嘆き叫ぶ豚の鼻がぴったり。

シクラメンほど清々しいものはない

出会いのときの 微笑みのよう

なんて、歌がありますけど、豚の饅頭とは、これ遺憾、辞書で調べたら、シクラメンは地中海の花、豚が茎を食べるらしく、豚のパンと呼ばれていたれあしい。

、何をおっしゃいますやら:ハンプテイ様、この親父を豚の饅頭や豚の鼻に喩えたりして、この八百屋お七

性格が 八百屋お七の シクラメン 京極杞陽

:その八百屋お七の性格って、何でしょうかと、ハンプテイ

チイは、知ってるは、恋人に会いたい一心で家を放火するような激しい性格という意味ですよ,八百屋お七シクラメンの花は似合わない。

シクラメンは、布施明が歌う

薄紅色したシクラメン程すがすがしいものはない

出会いのときの君のようです

恋するときの君のようです。

このシクラメンを詠う布施明、チイ姫の旦那様、ロンのようで、清々しい!

なんというのろけをとダンプテイもあきれ顔ですが、シクラメンの清々しいのも時間の問題ですね、布施明の顔もそろそろ萎れ気味ですから

ところで、先ほどのダンプテイの隠し種とは、ダンプテイが亡くなったら、「この子は旦那様の隠し種でして」と、遺産相続目当てに突然に現れる隠し妾では、ありませんか!

葉隠 隠しの種 枇杷の種

ダンプテイもなくなる前に、その隠し玉とやら、しっかりと縁切をしておいてくださいね!

いえいえ、このダンプティ、そんな豊満家の旦那衆のような甲斐性は、ございませんよ!

隠し種とは、枇杷の実に隠された癌に効く効用ですね!

何しろ、枇杷の葉は癌に効くといわれますが、枇杷の実にはその300倍のアミグダリンが豊富に含まれているそうですね!

なにかと、佐賀はお茶と薬が昔から特産だとか

そういえば、佐賀には嬉野茶が有名ですね!

チイ:そういえば、佐賀には、久光製薬とか、祐徳製薬とか薬関係の会社が多いわね!

そうなんですよ、佐賀の金立には、徐福長寿館・薬用植物園には、中富薬博物燗等薬関係の記念館が多くあり、佐賀は、何かと薬産業が活発なのは、徐福との関係がある様にも思えますね」と、ダンプティの薬談義を始める。

ダンプテイの職場仲間の田代さんの話によると、昔は、漢方薬が中心でしたが、それは、対馬を経由して入ってきた訳ですが、対馬は、貧地のため米の栽培が出来ず、佐賀藩の中の鳥栖あたりにに飛び地の田代領をもっていたといわれ、この地を田代と、いうのはその謂れの名前だそうですね!

そういえば、藩主の宗氏は、朝鮮との薬取引をこの田代領で売薬をおこなっていたと、田代の家計自慢をされていました。

ですから、この佐賀は、富山の売薬と同様に、全国的に売薬業が発展したそうですね!

早速、田代さんにつれられて鳥栖にある薬博物館にも案内されたりしましたね!

確か、中富記念薬博物館にある白沢という病気よけの像がありこれは異なるからだにも眼がある不思議な姿に驚きました。

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チイ:このこそ、お茶の祖といわれ、お茶の葉を噛んでいますね!

中国の歴史の中で、お茶が登場するのは、「神農(しんのう、農業・漢方の祖)」の逸話から言われていますから、お茶の発見は紀元前2700年ごろ、神農時代と考えられます。

流石、お茶の水チイ博士は違いますね、大学で食品を極めたけありあってテダンプテイは、感心致します。

沿う誉めて頂ければ、もっと講釈させて頂くわ

アジアでは、薬の神様は神農で、牛頭人間である 白澤に関係しているようで、豊穣の神は、五穀を守る神農、寺院や農場に飾られているんですよ!

この写真をみての通りです。

稲穂をもっていたり、薬草を口に咥えたりして、髭をはやしているのが一般的で、でっ腹で、まるでダンプテイじゃございませんか

ヨーロッパとは、違って、男の一物はちゃんと隠していらっしゃるのは感心いたしますね!

注:台湾の神農大帝

ところで、田代さんの話によると、この怪獣のような牛の像は、中国の想像上の神獣で、6本の角と9つの眼を持ち、人語を解するという。麒麟(きりん)や鳳凰(ほうおう)と同様、徳のある政治者の時に出現し、病魔を防ぐ力があると信じられていたそうですね!
  こうしたことから、白沢の絵を持っていれば,道中の災難や病気を免れると、江戸時代の旅には欠かせない“お守り”となっていたそうで、コレラ流行の時なども白沢の絵が売りに出され、人々はこれを身につけたという。

チイもインターネットで調べたことだけど、牛頭の神といえば、スサノウですけど、牛頭天王は、中国の神農ともいわれ、平安京祇園社の祭神であるところから祇園の起源でもあるそうよ!

さらに元をただせば、ユダヤ教バール神に繋がるとも言われていますね

だから、佐賀の天衝舞浮立で舞人が、舞う時に被る角は、牛の角の形をしていますね!

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この浮立舞も豊年感謝の意を表して毎年秋に奉納される神事芸能ですから、豊作を祝う神農とも関係があると思えるけど、ダンプテイはご存知かしら?

面浮立の起源は、豊後の大友勢が肥前を攻めた時、龍造寺方の鍋島直茂が一族郎党に鬼の面をかけ、赤熊(しゃぐま)をつけ、陣鉦、陣太鼓、笛を鳴らして敵に夜襲をかけ、勝利したという故事にもとづくそうですね、 

面白いのは、面浮立とは一種の仮面踊りで、般若面に似た面長の鬼面を被ったかけうち(踊り手)が激しく、そして勇壮に舞いますが、日月を形どって雲龍を描いたテンツキと呼ばれる大きな前立を顔につけ、鉦や太鼓に合わせて踊る浮立を天衝舞(てんつくみゃあ)浮立と呼ばれるものですね!

頭に被る角には、三カ月と太陽の絵が描かれているのも、ペルシア文化と関係があるともいわれていますね」と得意な佐賀の歴史を語り始め、更に続く。

角は、ペルシア語でサカであり、ペルシアの地域もサカと言いますね、ペルシア・スキタイ俗がサガ族で、ペルシアの王冠に三カ月と太陽の絵柄があるのも不思議です。

それに、佐賀市の西には、三日月町があるように、この地域は星と月を信仰し、佐賀の浮立や佐賀の徐福伝来の地の謂れと深く関係していると言われています。

佐賀県の県鳥は、カササギで、ペルシア語で、ザギが鴉のことを言い、牛の角もさき、これらの言葉がなまって、佐賀となったとは、ダンプテイの新設ですが、本当かどうか?

ダンプテイったら、徐福伝説には感心があるみたいね、チイがインターネットで調べた情報では、:

中国の神仙思想には、深い山の御国は、仙人が不老不死の薬を作っているという言い伝えがあり、紀元前250年頃に、秦始皇帝は、方士であった徐福という人に、「東の国に蓬莱山という島があって、そこに不老不死の薬がある国があるからそれを持ち帰れとの命をしたそうで、徐福は、莫大な資金や100船の提供、3千人の少年少女の提供され、不死の薬を求めて蓬莱山に向けて船出したとされています。

徐福は、この佐賀に到着し、盃を浮かべ、盃が流れ着いたところに上陸します。

それが佐賀市諸富町の浮盃(ぶばい)というところで、徐福は薬草のありそうな山を目指し、金立山へとやって来たと言い伝えられる。

どう、チも中々の徐福に詳しいでしょ!

御見それしましたチイ様、それでは、もう少し解説を咥えましょう。

徐福が上陸した金立神社には、徐福上陸の縁起図があり、徐福皇子とありますが、この地で、徐福皇子は、お辰という娘と結婚したとされる伝説が残されていて、徐福は、土地案内を頼んだ源蔵の娘お辰と恋仲になりますが、徐福が金立を去るとき「5年後に戻る」との伝言が「50年後に戻る」と誤って伝わったため、お辰は悲しみのあまり入水したと伝えられ、金立神社のお辰観音はこの悲恋に由来するものです。

佐賀の吉野ケ里遺跡には、弥生時代において我が国では珍しい甕棺による埋葬墓が見られ、不老不死の神仙精神が伝わっており、オリエントや中国の文化がここにもたらされたことを示し、わが国の古墳に発展したとも言われていますね! 

徐福伝説では、徐福は我が国の蓬莱山の不死の薬を探しにこの佐賀の地に来たと言われていますから、竜宮の浦島太郎の話にも通じるところがありまますね

佐賀の金立山中で徐福が見つけた霊薬は、不老不死がなまって、ふろふき、煎じて飲めば胃の薬、頭痛薬に効くという伝説もありますし、この浦島伝説も、佐賀県にある背振山にも伝説が残されていますが、浦島太郎が蓬莱の地について歳をとらなかったのも、徐福の不老不死の伝説と関係するようにおもわれますね!

それに、ここには、金龍山があって、山頂に龍の池があり、水底に金の文字が浮かび竜宮城の入口と考えられる竜宮伝説があったりします。

 

ハンプテイにとっては、徐福伝説なんて難しいお話にはついていけませんから、佐賀の観光についての話に切り替えますわ

佐賀の祭りと言えば、何と言っても賀瀬川の河原で行われるバルンフエスタですね!

ところで、このダンプテイ親父のランナーの漫画、佐賀光ファンタジーって、あかいてあるけど、暗闇の中で輝くバルンの灯は、まさに光のフアンタジー

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なにしろ、佐賀のバルンフェスタは壮観なる景観を醸し出す佐賀のお祭り

男百という風船が、夜空に飛んでいく。

台湾で見た十分のバルンも美しいけど、佐賀のバルンには人間が乗っているんだからそのスケール感が違います。

光フアンタジーといえば、佐賀ではないけど、佐世保に近いところにある長崎ハウステンポスですね!

まるで、御伽の国に行ったみたいに、光輝く景色が再現されている。

ここには、復元帆船"デ・リーフデ"(240トン)が陳列してありますね、オリジナルの"デ・リーフデ"はオランダの帆船で、1600年に豊後の臼杵湾に漂着して日蘭交流の発端となったことで知られています。三浦按針などもこの船で来日しています。 

この船男のダブル衣装のダンプテイ親父が船の旅をご案内致しますぜ!

マドロスの ダブルスーツや 春抱く

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デップリダンプテイにはダブルが良く似合うはと、めずらしくこの「恰幅をお褒め頂いたが、そのあとの言葉がいただけません。

「春抱くではなくて腹抱くではないかと思うけど」だって、

船長の服は、腹に風が吹き込まないダブルの服と昔から決まっていますね、ダブルスーツは、あの黒船のペリー船長の服が原型だと思うけど

「春抱くって、厭らしい表現、それにしてもこの写真は、ハウステンポスに復元してあるオランダのデ・リーフデ"(240トン)号の難破船でしょ、こんな船、怖くて御免ですね」とチイ様のお言葉!

船長は、いざ、何か海難事故があったら、「乗客スタッフを独り残らず救出させてから、船もろとも最後まで」と、いうのが日本の風習だけど、こんな覚悟がございますか

そういえば、韓国のセオール号の難破事故のときには、「船長が率先して逃げて、多くの船客に危険だからと船外に出ないように呼びかけて、大半の人が亡くなったという悲惨な事故を招き、船長の責任が追及され、死刑判決に至った」、と、されていますから」とチイのお言葉は厳しい。

「船長は、船客にとっては、牧師でもある喧嘩も裁く、裁判官でもある」と、いいますがね!

どんな危機があっても客の安全を見届けるまで

最後まで客船から脱出せず最後まで客船から脱出しないのがダンプテイ船長の心得ですよ

このダンプテイを舐めたらいかんがね!

この親父 舐めたらいかん 毒バーガ

なんですか、このバーガの中の毒男

とても不味くてハンプテイには、食べられませんは

いえいえ、ハウステンポスに行って忘れてはいけないのは、佐世保バーガー、あの旨さは半端ではありませんね、

ついつい、この味を忘れないよう記念に佐世保駅にあったバーガーにダンプテイが入り込んで撮影と相成ったわけ、特別にご賞味あれ

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ところで、佐賀の観光の話の続きですが、地味なまつりだけど、夏祭りでは侍さんに扮装して街を練り歩く佐賀祭りがありますね!

このだんぷてぃおの侍姿を見てください、姫を二人つれて待ちを練り歩くのもいい気分でしたよ!

 

佐賀の殿様禿げ頭  

佐賀の葉隠れどこいった

葉隠なくて覗いてる 

枇杷の実ひとつ立派だな

御堀のお水はどっぷりと

殿のお腹はでっぷりと

楠おばさんありがとう

殿の御鼻もどっかりと

御髭は凛々とダリの髭

御メメはオホホの恋の色

眉はアハハのハの字して

口はガババの河馬の口

今はその時ときは今 

決断忘れて でっぷりこ 

ダンプテイ:ところで、佐賀は、実に道路わきの水路が多いのには、びっくりである。それもいつも淀んでいて流れていない。

これは、佐賀は、平地で高低差がないために、水の流れがないのだそうで、大雨ともなったら、これが禍いしてか、時として氾濫をもたらすそうである。

この氾濫を防いだのが治水事業だそうで、

嘉瀬川の水を大井手(堰)で止め、て洪水に悩む人々を救い米作地へと貢献したのが、成富兵庫茂安だそうで、その記念館がありましたね、

そのおかげで佐賀の街に水が引き込まれ、佐賀市内から佐賀空港まで、30分程あるが、その間は、限りなく平地には、亜麻色の小麦畑が広がっていますね!

海岸にでると、赤いシチメンソウが広がっている。

赤から緑,そして赤へと変化する葉の様子から七面鳥の顔色変化に譬えて名づけられたとか

まさに、海岸の紅葉の景色である。

この地は、昭和天皇の最後の行幸地でもあったそうで、ラムサ-ル条約湿地「有明干潟」には、昭和天皇の碑に
面白し沖へはるかに汐引きて鳥も蟹も身ゆる有明の海

と、刻まれている。
ご存命最後の歌会始めで、歌われたものだそうである。

ところで、佐賀でおもしろいのはカチガラス

佐賀大学のキャンパスには、まず、椰子の木が道路の両側に整列しての景色には圧倒されるが、まずおどろくのは、鴉には似ているがお腹のあたりが白いカチガラスがキャンパスの中を飛び回っている。

性格のいえば、道路を走り回る様に、飛んでいるのは、他の剣では見られない。

電信柱の上にも巣をつくっていて、おそらく、日本では、ここしか見られない鳥である。

話によれば、鍋島氏が朝鮮半島から持ち込んで、鷹狩や捕獲を禁じて保護されてきたらしいが、カチカチと啼くから縁起がいいとされてきたことかららしい。カチガラスはカササギであるが、古今集には、このカササギの歌が登場するわね!かささぎの 渡せる橋に おく霜の   白きを見れば 夜ぞ更けにける           中納言家持 百人一首

チイ:おそらく、この頃,日本には鵲は、いませんでしたから、中国等の古典の知識から歌をつくっていたと思われますね!

この歌も中国の

「月落ち烏鳴いて霜天に満つ」と、いう唐詩(張継の作)が元になっていると言われてまね!ところで、「かささぎの渡せる橋」とは、天の川のことで、中国の七夕伝説では、織姫と彦星を七夕の日に逢 渡せるため、多くの鵲が翼を連ねて橋を作ったとされますね!と歌にしたら定家がある女に送った文に七夕の契その夜は遠くとも文みきと言え かささぎの橋七夕の契りを結ぶのは難しくても、文をみて、鵲の橋を踏んだくらいのことは言ってほしいと歌にしたらこれに対して、女は直ちには 誰がふみみむ  天の川うきに乗れるか よは変わるとも 宰相内侍文を頂いたというだけで誰が鵲の橋を踏みましょうか、私は浮き木に乗っているようにおぼつかない身でありますのにとも訳してみました。ハンプテイ:このカササギと思われる鳥は、メルボルンでも見かけたことがあるわね!郊外にあるBBQにでかけたときのことだったかしら、BQを始めると近くのユーカリの木には、数匹のマグピーが小枝から、食事の様子を伺っている。

 

突然にバーベキューの肉を狙って食事中のところに飛び込んできて、見事に肉を浚っていき、だんぷてぃもびっくりである。

姿は、鴉にそっくりであるが、マグピーというらしく、その性格は、鴉に良く似ている。

佐賀でみかけた「かささぎ」に性格も似ているし背中の辺りが白くなっていて、鳴き声がよく似ているから、鵲だと思うけど!

バーベキュー 手がすばしくて 美しく

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と、チイの写真の手を長くして俳句をご披露すると

ハンプティ、カササギの嘴もすばしっこいけど、バーベキュウデチイの手もすばしっこくて、鵲そっくり、流石に、サルサダンスで優勝しただけあっての手振りの良さ、ビックリですわ!

いえいえ、ダンプテイの歌餓鬼の裸踊りには、チイの手は及びませんわ!

歌餓鬼ってなんですか、歌垣の間違いでは?

とダンプテイが問うと,チイ:間違えていました.

歌垣といえば、互いに男女の友達が歌の掛け合う遊びで歌合わせを友垣で行うもの

日本では、佐賀の嬉野市にある杵島山(歌垣山)が知られていましたっtけ!

勝って嬉しい花一匁 負けて悔しや花一匁 あの子がほしたーー

ところで、この嬉しやは、嬉野と考えれば、この歌のルーツは嬉野市の杵島山(歌垣山)と思われる。

遊女を花といって、遊女を一文目で買うって嬉しいということらしい。

チイ:遊女と客との契りは、心中立て、小指を絡ませて

指切げんまん 嘘ついたら 針千本飲ます

と、指を振り合うやつね!

指切げんまんとは、女と男の契りで、げんまんは、拳骨一万回のことよ、ダンプテにはクルーズでの世界旅行の実現は指切げんまん嘘ついたら針飲ますよと、ハンプティからはダンプティの最後の落とし前となりました。