ハンプティのブログ

ハンプティ・ダンプティのように、いつもずっこけぶりを発揮しています。

ダンプティの讃岐の旅日記

 

香川大学に単身赴任していたときに、友人三人(篠田さん、斎田さん、里田さん)の「さん田親父」を香川に誘っての三泊4日の讃岐の旅と相成った。

里田氏は、前日に徳島入りして、徳島での阿波踊り会館で阿波踊りをしてきたとか、我が仲間で最高年齢の御歳69だから

御長老 シックスナイン の阿波踊り

なんて、笑いあえるのも、昔、一緒に錦糸町で飲み明かした仲間だからである。

先ずは、大塚美術館内のピカソゲルニカの前で全員集合

「これは、これは、相変わらずですね」と、自然に向かうのは、互いの禿げ具合と、お腹のデッパり具合であり、相変わらずですね!

篠田氏は、帽子を脱いで、久しぶりと賓頭盧頭の光は眩しくてご健在であることがなにより

互いの健在ぶりを祝福することとなる。

久ぶり 頭とお腹を 見比べて

岡本太郎ゲルニカを見て、ゲルニカのような傑作を見ると、作品こそ芸術家の全ての証で恐ろしさと嬉しさに戦慄するのであると、言っているが、まさに、その感がし絵のスケールは筆舌で、感銘する。

早速、篠田氏の受付案内嬢への質問、「この美術館、随分と、建築費がかかってるようだけど、一日の入場者は、何人くらいかね?なの」と,付嬢にご質問、

受付嬢、「サーどれほどでしょうか」と、愛想が無い。

入場崇が分かれば、売り上げが分かってしまうから、税務署員には、警戒しているわけである。

こんな篠田さんのことだから、「入院でもしようものなら、病院の看護師には、あの世に行くまで残り、何時間ぐらいですか」と、質問をするに違い無い。

ところで、システイーナ礼拝堂等壁画には、圧倒される。

それにしてもバチカンにしろ、この大塚美術館のシステーナ礼拝堂にしろ豪華な御殿のようである。

バチカンや 神の戯れ 花御殿

ここの作品は、全て陶器画での偽物ばかりだから、有名作品が全て眺められるのがいい。

なにそろ、こちら様は、本物かにせものかの眼識等ありはしないのだから

ここでは、ゆっくり眺められ、写真撮影もOK,触るのもOKと、何でもありだから有難い

本物のバチカンで見たときは、見物客で混乱して蟻の列だったけど、ここは、ゆったりの何よりである。

偽物も 仰げば尊し キリスト像

それにしても、最後の審判の壁画は、とても礼拝像とは思えない残酷な様、それに、裸の男女の姿は、なんとも破廉恥そのものである。

ミケランジョロが絵を完成させた後にも、この破廉恥ブリが問題となり、布で覆うように絵が塗り加えられたそうであるが、修復でその一部が、取り除かれ、元の姿が再現されたとか、男の一物もなまなましい。

それにしても、地獄の番人のミノスの一物は、蛇によってかみつかれている。

この姿は、ミケランジョロが憎んでいた人の恨み姿というが、こんな絵で恨みを払うとは、おぞましい画家である。

裸像 蛇おぞましく 巻いており

それに、ミケランジョロ自身の姿は、皮を剥がされた姿であるとか

ところで、キリストが右手で手をかざしたものは天に、左手で指したものは地獄を示すとか、キリストが人間を支配し、人間の運命を右手か左手かで決めてしまうとは、考えてみれば恐ろしい遊興で、

仏教では、虎に喰われ人を釈迦が自らが身を投げて、人を救う捨身の御姿とは、尊さが違うような気がする。

いずれにしてもキリスト像の偽物で観光客を集め、お金儲けとは、地獄の沙汰も金次第である。

さて、大塚美術館を見物した後は、右手に瀬戸内海、左には、四国の山々を車を走らせるも、軽自動車での重量級の4人での走行には、ハンドルも重い

ドライブの ハンドル重き 卯波かな  

志度インターを出ると、そこは、四国88か所の一つ、志度寺で、もう日暮れ時

秋暮れて 今宵は友と 志度の寺

志度寺や 日永し老いの もの狂い

この志度寺には、謡曲「海女」の謂れ、「面向不背の玉」の伝説の謂れが碑に残されている。

奈良時代に唐から送られた3つの宝の一つ、面向不背の玉の逸話、房前という志度湾の浜で、尼が唐から伝えられた三種の神器である「面向不背の玉」を海女がわが身を犠牲にして海から拾い出した恩によって、海女の息子が世継ぎとなって藤原房前となったと、の謂れです。

志度湾も玉乃浦とも呼ばれ、謡曲の海女に登場しますが、昔から、牡蠣の産地だったようで、早速、

早速、渡辺という食べ放題の牡蠣の店に案内した。

野菜や飲み物持ち込みでの牡蠣食べ放題は、何よりである。

牡蠣すすり からから殻積む 志度の宿

食べ終われば、牡蠣の殻がバケツ一杯となり、ミンさん、これまで60年間に食べた量程の牡蠣を一日で食べたと御満悦、

注:左志度湾での焼牡蠣を一人バケツ一杯食べた時の写真

牡蠣喰えば 鐘がなるなり 志度の寺

なんて、物真似駄作の俳句を誰かが口にするが、そういえば、漫画家の水木先生

牡蠣食えば 朝のマラ立ち 久しぶり

と、マラ立の俳句が出てきちゃったが、我ながら、余程、御気に入りの俳句なんでしょう。

そしたら、篠田氏、でも、でもよ、朝マラって、良いわね、私も朝マラソンに参加しようかしら?

とおっしゃるから、食べた牡蠣を吹き出しました、この噴飯者!

ところで、志度湾で牡蠣を食べたときには、志度寺にもいったけど、そこには、平賀源内記念館にも立ち寄った。

ここには、ボルトの木が源内博物館の前に植えられているが、これは、オリ-ブの木で、小豆島の特産品となっている。

ホルトとは、ポルトガルのことだとか、

確かボルトという町がありました。

ところで、源内といえば、讃岐三奇人の一人ですが、源内の多方面の博学ぶりには驚かされますね、東洋のレオナルドとも称されていますよ!

エレキテル 石碑の残す 秋の暮

薬草学から始まって、絵画(洋画)、焼き物(源内焼)、電気(エレキテル、方磁気)、鉱物学(火乾布:アスベスト)、その他寒暖計、鏡(うぬぼれ鏡)等発明家、それに戯曲や小説まで書いて大変な売れ行きをしめしたとか、(根なき草というタイトルは、植物から始まり、根亡き木佐のように様々なことに手を出して世のために尽くす源内そのもののようで面白いタイトル)、それに放屁論という面白いエッセイも出している。

放屁論 とはなんなりや げんなりこ

と、チイも放屁論に感心がおありなので、その一部を紹介することに

自由自在に放屁できる放屁男が出てくるが、そのさわり 「漢にては放屁といひ、上方にては屁をこくといひ、関東にては、「へひる」といひ、女中は都て、おならといふ。 
其語は異なれども、鳴ると臭きは同じことなり。その音に三等あり。ブツと鳴るもの上品にして其形圓く、ブウと鳴るもの中品にして其形いびつなり。 
スーとすかすもの下品にして細長くして少しひらたし。 
是等は皆素人も常にひる所なり。 
彼放屁男のごとく、奇奇妙妙に至りては、放ざる音なく、備らざる形なし。 
いかなる故ぞと、聞けば、彼ケ母常に芋を好みけるが、或る夜の夢に、火吹き竹を呑むとみて懐胎し、鳳屁元年へのえ鼬鼠の歳、春邉と梅匂ふ頃誕生せしが、成人に随ひて、段々功を屁ひり男、今江戸中の大評判、屁は身を助けるとは是ならん云々──。 」

讃岐の三奇人のもう一人は、宮武外骨ですね!

現体制に反骨した奇人であることあにかと反骨心王政なのが讃岐の特徴

宮武外骨さん、親から頂いた名前は、亀四郎、

役人に外骨と命名変更を届けたら、親は子供の長生きを願って亀四郎と命名したのに、変更して早死にしたら親不孝者、よって名前変更をみとめずといわれて、外骨さん、亀は、中肉外が骨の亀を言い換えただけですといって命名変更を認めさせたとか

里田氏、ところで、讃岐の三奇人は、源内と外骨の他に誰なのかしら?との質問

讃岐で、空海を知らないと,言ったら馬鹿にされますよ」とダンプテイが答えたら

「なぜに空海さんが奇人のなんですか」と、里田君は、空海をご存知ない。

弘法太子は、も筆の誤りと三筆の一人ですが、色事のほうでも筆使いで有名で仏教界に改革をもたらした、助平な坊さん

あの言葉の言葉、自由自在の筆使い

弘法様の筆は素晴らしい

弘法様の筆を試めして欲しいと、言われてみても、「女は、駄目です,男だけ」と、頓珍漢弘法様のお言葉

弘法の筆の誤りとは、このことなりか!

弘法様は、書の大家だけど、こんな筆使いでも字を間違えることがあるという諺ですが、これには

表向き、弘法さんは、裏技が得意の筆使い、いわゆる禁じられていた仏門の世界で、坊さんに男との交わり文化を中国から取り入れたわけで、弘法さんは、筆の使い方を間違えたという裏のお話し

弘法大使は裏門 親鸞は表門

と川柳にもありましてね!

弘法大使は中国留学で仏教と共に、男色を日本にもたらしたが、親鸞は、妻帯をも認めた人

弘法さんに縁の善通寺には、我拝師山(がはいしさん)と、いう五山があり、その中の一つは、筆の山、経塚であって、その名前からしても、謂れ深き仏の山

西行もこの謂れを聞いて感慨にひたりつつ

筆の山に かき登りても みつるかな 苔の下なる岩の景色を 

苔の下の岩と言い、筆の山といい、なんかしら、エッチな歌にみえてくるこの西行法師の歌

そこで、ダンプティが空海に関する講釈

ところで、弘法の筆の誤りの逸話ですが、

勤務していた弘法大使の縁の地の大学産学連携に勤務していた時に、地元の手袋を使った医療器具作りに関わったことがあった。

この大学の広報誌にこの手袋の開発を支援した人は、ダンプテイではなく、殆ど関与しなかった後任者やスタッフの名前と写真が載っている。

さっそく電話デクレームを入れると、誤りの葉書が「弘法も筆の誤りでした」お許し願います。

だから、こう答えてあげました。

清と濁では大違いですわね、弘法と広報の違いは清濁の違い、明治の前は、清濁区別なく使われていたそうだから仕方ありませんが!

世の中は清と濁とは大違い

ためになる人 だめになる人

で、他人の貢献を自分のものにする駄目になる人と、社会のためになった人とは大違いである。

ところで、「弘法太子の男色文化をもたらした功績もありますが、何より実利のある貢献は、灌漑事業といわれていますね」と、篠田君

雨の少ない讃岐平野は、干ばつの被害が多かったようで、弘法大使は、大陸からの灌漑技術を取り入れて満濃池を作った貢献も大きいですね

それに、なんといっても大きな功績、仏教の伝達で、四国には、善通寺等88か所巡りの多くの寺の建造に関係している。

そういえば、車中からもいけが多くて、中には美しい蓮の花がきれいでしたねと、里田君

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ところで、下品な話しが続きましたが、4人の讃岐の旅、一泊目は、我が香川大学の医学部官舎のあばら家に宿泊して、翌朝は、早速四国村で郷土の勉強と、あいなった。

入場料を払って、直ぐにあるのが徳島の橋のミニチュア版

架け橋や 命をつなぐ かずら橋

芭蕉も俳句しているが、芭蕉が四

 


国にきていたとは初耳である。

ところで、この枯れ蔦でこんな橋もできているから我ら枯草ダンプテイも見習うべしである。

ことごとく 枯れたる暗さ 蔦かずら

それにしてもなんとなく陰気な感がするのはこの蔦である。

蔦々と つらなる暗さ かずら橋

ところで、「讃岐の地は、都からも遠く、流計の地であるとともに、平家の落人の逃亡した地ででもありますね」と、斉田君

高松から、少し南の山越えをすれば、四国の祖谷にある平家の落人の里、

清盛の弟の平教盛の次男国盛が忍び住んでいたとされていますね!

ここには、蔦橋があって、追っ手が迫ってくれば、いざというときには、蔦を切り落とせば追ってから逃れられる。

まさに蜥蜴の尾っぽ切り戦術である。

ところで、このかずら 橋を更に進むと大きな石が展示してある。

なにかと思えば、大阪城の城跡に使われる予定だったが途中で落下した石で、落城という縁起から使用されなかった残り石だそうですね!とダンプテイが申せば篠田君

何かと縁起を担いだのがこの頃の武将ですからね!打ち鰒、昆布、かち栗と、打つ、喜ぶ、勝の縁起かつぎで戦場に出るときの食べ物だったわけ

と、祖先は侍だったということで、武士の習慣に何かと、お詳しい。

そういえば、侍の旦那が戦場に出るときは奥方は、勝ち石をカチカチと打って音をならすとか!

勝は魔去るとも呼ぶから勝石は魔去る石と縁起物、そういえば、四国には、音色がカンカンと美しいカンカン石や建築に使用される庵治石とか牟礼石等石がなにかと有名な土地である。

こんな石に興味を持って野口イサムがこの牟礼の地で仕事場を設けたとか、今では、野口イサムの庭園美術館がある。

さて、四国村を「出て四人衆は、屋島へと足を運ぶことに、屋島から見る瀬戸内海の景色は、美しいが、ここで帆船に乗った平家の軍勢と義経との闘いがあったとは、

夏草や 兵どもの夢の跡 芭蕉

こんな芭蕉義経や最後を遂げた平泉での俳句が、こんな屋島に碑とされているのは、違和感がないでもないが、平家の滅亡を悲しむ俳句と、考えれば許される。

平家物語』の那須与一の扇の的や船隠し等のエピソードがあったのはこの屋島から眺めた海だった思うと灌漑深い。

そこで我々四人衆は、那須与一に肖ってこの屋島から瓦投げをとばかり、海に向かって瓦投げをすることとした。

屋島では なす瓦投げ 与一かな
こんな駄洒落で落ちがあったところで、四人衆は、饂飩のわらやで腹鼓をうつことに

すると、里田君、「男は、饂飩をいただきながら、讃岐うどんのような腰の粘りが大切ですね!

そういえば、高松屋島の「わら屋うどん店」には、うどんの他に、石の男根まで陳列してあって、「これは凄いダンプテイより立派だ」と、またまた、エッチ親父ぶりを発揮

松坂大輔の年俸と僕の年棒を比較するようですね、えらい棒の長さが違がいます、スッポンの首とキリンの首くらいに!

と、お答えした。

さらに、里田君、わら屋の釜揚げ饂飩を食べながら、「あんな石では使い物には、ならぬ、この饂飩のように軟でも役に立たぬが、程々の硬さが丁度いい」と、語って、一句

讃岐では 男とうどんは 腰次第

「大きさじゃないよ、腰だよ」と、言ってやりました。

そしたら、それは、違う、

讃岐では うどんと女は 腰次第

と、讃岐の女も知らないくせに生意気にも訂正されてしまった。

ところで、古来、讃岐の男仲間では、お隣の阿波女に憧れていたそうです。

我は讃岐のつるわもの、阿波の若衆に肌触れて、足や腹よや、つるわのことも思は

なんて、閑吟集に出てくるような助平話を披露させていただいた。

注:鶴羽という故郷、讃岐の妻のことも忘れて男色にふけっている。

何しろ、阿波踊りで鍛えた腰に、泡を吹くほど歓喜したそうですから!

いやいや、歓喜ではなくて、随喜したでした。

粘り腰といえば、ダンプテイ、20回も見合いが実らないでも、世を捨てず、ひたすら見合いを続けた親父の粘り腰に、ついに今の女房も勝旗を揚げたわけですからと、自慢にもならないことを口走ったら!

「なるほど、そんなに粘り腰の技が得意なダンプテイだったとは、初耳でした。

見合で断られたのに己の腹の上に相手を乗っけて、うっちゃり技を繰り出すなんて、ダンプテイ親父も積極的ですね!

今の世だったら、セクハラかパワハラですが、こんなセクハラ親父の腹に乗せられた可哀そうな奥様!」

なんて、真面目な斉田君に言われる始末。

こうしてこうすりゃ こうなると

知りつつこうして こうなった

惚れた私しが 悪いのか

迷わすわすお前が 悪いのか 西条八十 トンコ節

こんな話をダンプテイが自宅に帰ってハンプテイにお土産話に話すと

「馬鹿イッチャーいけません」、そんな淫らなハンプテイでは、ございません」と、一喝パンチを食らい

「ダンプティのためと思って、「ああしろ、こうしろ」と毎日頑張ってダンプテイに尽くしてるのに、このダンプティ何たる恩知らず」と、こんな歌を返されました。

美しき 手あり足あり 腹ずもり

何たる仕打ち トンコ節

「わらや」での朝食をとって、4人組は、車で、栗林公園に向かう。

その途中で、「右手に見えるのは、紫雲出山でございます」と、道案内宜しくダンプテイ

これは、異なる名前の山なりき

この辺りで昔、学生が乗った船が遭難した悲劇の事件は確か紫雲丸ではございませんか!

と篠田君

そんな昔の悲運な事件をご存知とは、とダンプテイもビックリ玉手箱を開けた浦島太郎

この紫雲とは、浦島太郎が玉手箱を開けたら紫の煙が出たという浦島伝説がありましてね!

このような蓬莱の国の我が国では、竜宮城の不老不死の島の話にも残っているわけですね!

栗林公園の借景となっているあたりの山が紫雲出山、名前のように浦島太郎が玉手箱を開けたら紫の煙が出たという伝説がありますね!

と、自動車運転に負けず劣らずのダンプティの口も滑らか

さらに、ダンプテイの知ったかぶるりの話が続く。

山の近くには、浦島神社なるものもあるし、玉手箱に因んだ箱という地名や亀島なる島などもあるらしい。

そういえば、昨日、行った栗林公園大きな池があって、亀も泳いでいたから、栗林公園は竜宮城の世界を実現しているようで、竜宮の世界のように美しい箱庭でしたね!

栗林公園の名前も、勝ち栗で縁起がいいと言われていますが、こんな縁起話がありますよ」と、里田さんからの栗談義が飛び出す。

栗の木は、西の木の漢字、西方浄土ありと、行基菩薩の杖や柱も栗の木を用いると演技がいいと

奥の細道に書かれていますから,日本では、縁起物として、また、栗の実が非常食用として、彼方此方に植えられていましたからね、きっと、この庭園ができる前には、栗林がここに広がっていたものと思われますね!

と、里田氏もなかなかの栗博士である。

それでは、「ダンプティも地元の情報を発信しまよう」と

この辺りには、八栗寺とか、八栗城とか栗山堂とか、栗に縁のあるところも多いのも関係しているかもしれませんね!

それに、この地に生まれた江戸時代の儒者 柴野栗山は、この地を栗山と名付け、その遺跡が栗山堂といわれ、五剣山は、八つの国が眺められるということで八国山がなまって八栗山ともいうらしい。

すると里田さん、「脱線しますが、「私は名前の通り里田の出でして、幼い頃は、どこの田舎に行っても栗の古木や山栗が植えられていて、仲間と一緒に欲栗拾いをしたものですよ。

拾うというより、石を投げたりや竹棒で叩いて、落として、とっていましたね

こら、栗ドロボウと、言われて、逃げまわったこともありました」と、幼い頃の泥棒小僧の正体をお明かされる。

なにしろ、戦後、間もない頃が育ち盛りでしたから、御馳走といえば、栗ご飯か筍ご飯でしたね,食料事情が悪い頃でしたから!

「こんな戦後の間もないころの食料難の話にはとんと縁もございませんでしたね、なにしろ我が家では、専ら、まったけご飯でしたから」とダンプテイは他の三人衆と、5歳も歳下であることを自慢する厭らしさぶり

ところで、栗林公園では、なんといっても掬月亭からの景色が格別なので、四人で抹茶を頂くことにした。

栗林公園での三人組の写真を前後から写真をとったふざけた仲間が居ましてね、その写真がこれだけど、と帰宅したあとに、ハンプテイに披露すると

ハンプテイがいうには、「この三人組親父、仲良し組ならぬ、股良し姿ではないですか」と!

それもそのはず、ダンプティが得意な写真加工技術の作品ですからね、ダンプテイが注目していただきたいのは、三人のお頭ですよ!

ご老体 白、黒、まっ茶で まっちや飲む

ですけど、この意味はおわかりかなハンプテイ?

三人の冠が白髪、黒毛、禿の三人冠者となっていることでしょ!

注:栗林公園の掬月亭で抹茶を飲む仲間の裏表

毛の色や 三人三様 笑い種

って、ところかしら!

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すると、蕎麦で写真を見ていたチイ、栗林公園まで行かなくても東京でも白黒まっ茶は、見られますわ!

巣鴨では  白髪禿ツル 老いばかし

そのお返しにと、ダンプテイ

渋谷では ミニのスカート 茶髪かな

ところで、こんな写真を見せて、ダンテイの黒髪をチイに自慢する気でいらっしゃるのね!

イヤイヤ自慢できるのは、この中央のオツム煌々の篠田君、50歳を記念して人の背丈程の五重の塔を製作された。

この塔もご立派だが、この篠田君のお頭もテンプル(Temple=神殿)で、光輝いておられる。

テンプルヤ 青葉若葉の 日の光 

すると、ハンプテイ

ダンプテイの場合は、

トンツルや 青葉若葉の 日の光

と、神父のお頭の丸い剃髪を揶揄する俳句

さらに、芭蕉が日光詣でをしたときに徳川政権を賛美する

あらとうと 青葉若葉の 日の光 

のパクリではございませんか!

と鋭い指摘

いずれにしろ、日光見ずして結構というなかれ、という心境に芭蕉も浸ったことでしょう。

曽良は、頭を剃った坊主頭に黒染めの僧衣に衣替えして、

剃り捨てて 黒髪山に 衣替え 曽良

頭を剃り墨袖の姿に衣替えをして旅に出ることとし、名前も惣五を宗悟と変えて心新たな旅では、日光の如きである。

今風にいえば、旅立ちは、先ずは、散髪屋にでかけてからの旅立

散髪屋 出てたつ我や 春の風

ところで、この禿げの篠田さん、M電機の航空無線の大先生で、禿げも立派だが出地もご立派だそうで、ダンプテイの出地には、かないませんがと、家族に話せば

チイは、何をおっしゃいます、ダンプテイこそ大した出地じゃないくせにと、馬鹿にしておる。

そこで、ダンプテイ

出地はっきりは、承知していませんが、天璋院様の御祐筆の妹のお嫁にいった先のおっかさんの息子が私の親父だそうで、大した出地でございますよ!

と、大法螺を吹いてみましたが、こんな話は、出まかせでしてして、ダンプテイのような凡骨先生でなく、仙骨先生であることはいうまでもありませんよ。

ところで、今日は、御連れできなかった服部君の出時が素晴らしいとご披露した。

何しろ、新東宝の社長で、長嶋温泉を占い師の御蔭で長嶋温泉を掘り当てて一大レジャーランの社長さんと運もついているけど、大出世

とんだ、脱線話となりましたが、我ら四人組のチン道中に戻って、

栗林公園の掬月亭というのは、池の水を手で掬うと、そこに、月が映っているという優雅な情景、それも借景となっている紫雲山に、月が昇っている絶景を想像させますね!

この掬月亭は、

水月在手弄花香蜜衣

という漢詩に因んだ名称と思われますね!

分かり易くいうと、

水を掬えば、月は手にあり、花を弄すれば、香り衣に満つと、いうこと、とダンプテイ

更に、付け加えれば、掬の漢字は、米を手で包み込むという日本古来の米文化を象徴するもので、日本の菊の花も実(米)を包み込むという縁起の目出度い花となっている。

この漢詩の意味は、「仕事でもなんでも心と体を一体にして没頭すれば、真理は、身の周りに自然についてくる」なんていう人生訓を語りだすのは、勿論のこと篠田君

さてさて、金毘羅まいりの途中でよるべきところは、は、弘法さんに縁のある善通寺

この近くには、香川大学で、一緒に仕事をしていた教授に秦教授が住まわれていて、昔から秦氏の多い地域であるらしいので、ついつい仲間に、ダンプテイが弘法さんと秦氏の謂れを教示することとした。

弘法太子が善通寺を創設し、仏教を普及した拠点であり、満濃池を弘法太子が建造したこと、このような寺院建築や土木事業を弘法太子が、単独でできる資金や技術を持ちえたことは不可能で、大きなスポンサーであったそうで

弘法太子は、師としてあおいでいた勤操大徳は、秦氏であり、秦氏と弘法太子は、深いつながりがあったわけ

秦氏が大師の留学のスポンサーだったからこそ、唐への留学の道、留学の費用、中国語への教育等の謎が解ける訳である。

聖徳太子は大安寺を奈良に建造しましたが、829年には弘法大師は、この大安寺の別当に任ぜられていますが、これも秦氏との結びつきがあったものと思われます。

当時、秦氏は、唐との間で、海外交易を進めており、また、多くの仏寺建造や、学僧のスポンサーとなって、いたわけですから、空海の多くの寺院建造による仏教の普及にも強く関係したことは、予想されます。

政治(聖徳太子)、資金(秦氏)、仏教(弘法太子)が三位一体となってこそ、わが国の仏教普及が進んだともいえる。

海外交易を行う(と 管理人が想像している)秦氏が関わりをもっているのは、当然と思われます。

空海の弟子で大安寺の僧、行教は860年に、石清水八幡宮を勧請したが、 八幡宮の創設には秦氏は深い関わりが有ったと言われています。とダンプテイの講釈は、続く

弘法太子は、満濃池による、農業振興にも力を注ぐこととなるが、このような土木技術は、秦一族の技術的、資金的な支援があってこそ、なしえた事業ではないかと思われ、弘法太子の様々の活動の裏には、天皇家の影のスポンサーであった秦氏の力があったことは、明らかなように思われますね!

こんな秦一族に関するダンプテイの話しに割り込んで斉田君

ところで、讃岐の国の南には市国で一番高い山の剣山があるそうで、そこには、

四国88か所霊峰に囲まれた、剣山には、古来、剣山にユダヤの秘宝が隠されているという噂が村々で語り告がれているそうですが、伝承に「よると、このユダヤ秦氏は同祖であるという話があるそうで!

よくぞ、聞いてくれましたと、ダンプテイ

剣山の麓は「日本のチベット」と、呼ばれる程、交通の難所であって、今もって未開拓の村東祖谷山村がありますね

そこには、ソロモンの秘法と言われる契約の箱が、この剣山下に隠されていると言い伝えられていますね

更に、「かごめかごめ」のヘブライ語訳と旧約聖書イザヤ書から、秘宝が隠された場所は、人為的に水を引いた溜池のある、人里離れた山地であると推測できますが、剣山の周辺からは水が沸き出でており、山の頂上がおよそ平坦になっているという不自然な地形から、剣山には人の手が加えられ、そのどこかに人工の溜池が潜んでいる可能性が高いといわれているのです。

 毎年、剣山では7月17日に剣山本宮例大祭(ほんぐうれいたいさい)が行われます。なんと、この日は「旧約聖書」の中に出てくるノアの箱舟アララト山に漂着した日と同じなのです。

神輿というのは普通、山から里に神様をお運びするものですね

。しかし、ここでは山頂へとお運びします。

 ここで出てくるのが、またもやあの「かごめ」の歌。かごめ→籠の目→ダビデの星、夜明けの晩→夜が明ける→よはね→ヨハネ(イエス使徒の一人)と繫がるのではないかとの説もあります。

失われたアークがここに眠っているという暗号なのだとしたら、面白いですね。
 この説を知っていたかどうかはわかりませんが、戦前から日本と古代イスラエルの結びつきに気づき、剣山の発掘調査を重ねてきた高根正教という人がいました。この高根さんが注目したのが鶴岩と亀岩。数年かけて亀岩の下の発掘を続けていくと、地下131mのところから巨大な球体の、「太陽岩」と呼ばれるものが出てきたそうです。そして、さらにその下には大理石の門や、高さ15mのピラミッド型の空間もありました。やがて、戦後間もない頃には海軍大将であった山本英輔(えいすけ)という人が、発掘をして、ミイラが100体以上も出てきたということです。

讃岐の住人とされる道昌は讃岐秦一族であるとされ、功名なる僧侶で、広隆寺別当にもなり葛野の河川灌漑にも貢献し、京都秦氏とのつながりをもっていたことは、明らかであるとされる。

注:聖徳太子の側近 井上満郎

随分と讃岐の秦一族の話に脱線しましたが、さて、四人組の旅は、金毘羅に向けて西へ西へとダンプテイのドライブが続く、軽自動車での重量級4人を乗せていては、車もキュウキュウと、苦痛なようである。

さて、瀬戸大橋の麓にある瀬戸内美術館に立ち寄ることとした。

ここで、頂ただいたコーヒーのコースターに柿本人麻呂の碑と印刷されている。

里田君が、この碑って、何だろう?

と、訝かっていたから、文学知識をご披露できるとダンプテイが鼻高々、ご披露する羽目となった。

沖津浪 来よる荒磯敷妙の 枕とまきて寝せる君かも 柿本人麻呂

と、和歌がありますね!

と、お答えして、それでは、御案内いたしましょうと、早速、この近くの海岸を散歩して、その碑歌を探したら確かにありましたね!

讃岐狭美島の石の上に死せる人を見て

玉藻なる讃岐のーーー島はーーの和歌の反歌として興津島が詠われていました。

そういえば、玉藻といえば、讃岐の枕詞、高松駅前には玉藻公園がありますね!

と斉田君、昨日は駅前のこの辺りを散歩したらしい。

何しろ、この辺りの海岸は、清らかで藻も美しいから玉藻といったわけですね!

とまたまた、ダンプテイ讃岐自慢をし、さらにその自慢はオペラに繋がる。

以前、赴任していた高松市もオペラの愛好家が多く、地元の愛好家が集まったりして、オペラを楽しんだことがありましたね!

高松は、日本一、音楽を楽しむ街だと思うくらい。

カラオケ親父だけと、思っていたけど、そんな高級な趣味は、ダンプテイは、似合いませんね!

と、同車の連中のヒソヒソ

春雨や 同車の友が ささめごと 

こんなような俳句が蕪村にあったかどうか?

そういえば、有名なバイオリストやオペラ歌手を排出した音楽の街というのが、高松ですね!

オペラ歌手の林康子とか、バイオリンの川合郁子とか、なんとなく女性が活躍している街

なにしろブギブギ踊りの笠木しずこの出身地だから!

なんですか、その「ブギブギって、笠木シズコのかささぎ踊りですか」と、篠田君

戦後に流行した、手足を振り上げながら、合わせてお尻りを振り回す尻り振りダンス、それに、ブギウギと絶叫の歌を折り混ぜる」と、いうイメージですよ!

高松ブギブギ リズムウキウキ

こころズキズキ ワクワクーー

それこそ、ダンプテイが讃岐道楽遊びをしている雰囲気ではないですか、オペラも詩吟モマンドリンも趣味三昧でウキウキわくわく気分!

と、里田君

「ところで、ダンプテイのマンドリン生活は、どんなもんだね!」と、尋ねる。

高松でなによりだったのは、マンドリンの市民クラブがあって、オペラの愛好クラブとの共演で、オペラ座の怪人のメロディーを伴奏したことですね!

ダンプテイ親父がオペラを歌うなんて里田は、信じられないけど、どんな切っ掛けで始めたんですか?

香川大学で一緒に仕事をしていた教授がオペラの世界に嵌っていて、ダンプテイが音楽好きだからと、ホームパーティーにお誘いを受けましてね!

教授から自慢の喉を披露されましてね、何もお返ししないわけにはいかないので、ダンプテイも詩吟など歌ってね、

詩吟は漢詩だけど、オペラはイタリア語なんですね、まるで、国際文化の交流でしたね!

それにしてもダンプテイ、あれこれ多趣味の蛸八みたいに、あれこれ手を広げ過ぎですよと里田君の御忠言

ところで、教授からのお誘いパーテイの招待も終わり、ダンプテイは早速メールで秦家に御礼

「秦家のホームコンサートにお招き頂き有難うございました。オペラの世界に魅了されてしまいました。

ここは、松平家伝統の武家の伝統が残る町だと聞いており、武士の嗜みの謡曲長唄が盛んだと思っていましたが、チィチェリア市民オペラといい、オペラの愛好の方が多いのにびっくりしました。

高松は文化の街で、それに比べて、いつもの調子でダンプテイの下手な詩吟など秦家で披露してしまい、一緒に訪問させて頂いたハンプテイからもお叱りを受けてしまいました。

これも「オペラ座の怪人の仕業だと」ご勘弁を

また、奥様の手料理大変美味しくご馳走になりましたが秦先生のビッグウエイトの原因が判明いたしました。

お礼に句を一つ

すすき野に 触るるばかりの 羽床富士

珍客に 犬の雄たけび 耐えかねて

外人や髭親父やら珍客に犬も興奮して泣き叫んでおりましたので、次回は、犬のお土産でも持参いたしましょう。

ご馳走のお礼に、ご夫婦の写真と手製の絵画ですが、メールにて進呈いたします。

ダンプティの詩吟やカラオケ上達の悲願も超重(蝶々)様の期待の重みに耐えかねています。

彼岸花 蝶を掲げて 首重し

出し抜けに 咲かねばならぬ 蔓珠紗華

花に止まる蝶も御主人様のように超重量級ともなれば、咲き誇る奥様の花も耐えられず、重みで耐えかねておられる奥様を御労り下さい。

このままですと曼殊沙華の花もしゃげてしまいそうですよ    超重オペラ様

と、お礼のお手紙を

「いきなりオペラ会に参加する訳ないと思うけど」と、篠田君

2回目の訪問は、イギリスから大学に赴任している教授と一緒の訪問でしてね

オペラ座に 怪人(外人)集う 秋の暮れ

オペラ歌人からすれば、私のカラオケや詩吟などは、俗な日本文化と馬鹿にされておりますが、お酒がはいっていたせいもあり、拙い英語で、ついマンドリン弾きの自慢話を持ち出しちゃったのよね!

訪問客の外人につたない「英語で、

I am amateur mandorinist

マンドリンの素人でしてね,といったつもりが、

その外人から、とんでもなく旨いマンドリニストだと解釈されたようでした。

Are you a mateur mandorinist?

「凄いじゃないですか、それでは、次のパーテイに一つ演奏をお願いできませんか」なんて、褒められて、ダンプテイは、すっかり、その気になって有頂天

さて、そのパーテイに招かれたお礼のメール

「オペラパーティでは、外国の方とのオペラを真近に聴けるとは、思いませんでした。

今回は蝶々夫人のオペラでしたが、お二人共に超重様で、オペラタイプの素晴らしい腹構えをされて、これまた、聞きごたえの他に,見ごたえもありましたね。

腹自慢 オペラ自慢の 雨蛙

オペラ先生には、恥ずかしながら詩吟で対抗いたしましたが、練習不足で見苦しきところをお見せしてしましたが、次回は、もう少し対抗できるよう練習をしておきます。」

オペラ先生からは、詩吟の出来の不味さを慰めてか、

鳴くな嘆くな男じゃないか、いつか、花咲くときもあろ愚痴や未練はドブに捨て、マンドリンの乱れ打ち--期待しております。

と、次回のオペラの発表会には、モーツアルトのドンジョバニーのオペラのマンドリン伴奏をお願いしますとマンドリン演奏を期待されてのメールが届く始末で、ますますプレッシャが!

ところで話をオペラの本題に戻して、訳の分からないメールのやり取りより、オペラ会に誘われ大変な目に合ったんです!

そのエピソードやらを聞かせて下さいと斉田君からのリクエス

ダンプテイがオペラ先生宅への訪問時に、先生から折角だからと、僕が趣味にしている詩吟を歌わされた訳、そしたら、その声だったら、オペラが歌えると煽てられ、酒の席だったから、まんざらでもない生返事をした。

歌心ありと 褒められて

十指に余ると おだてに乗って

小肘を叩き 合点したとて 雀喜して

来たか長さん待ってたほい

それからは、逢うたびに、「オペラをお願いしますよ」の説得である。

獅子吼を重ね 説き伏せて

誘ってみたが 肘鉄砲

それから、数か月を経てから、教授からのメイルが入っていて、次回の市民オペラ会の目録が添付されていて、宜しくと末尾に書いてある。

てっきり、オペラの観劇への招待であるとおもっていたら、その後、秦教授

「オペラ発表会の練習は、開始してるかね!」

と、驚きのことをおっしゃる。

これはビックリ玉手箱、よくよく、オペラ会の目録をみると、配役の一覧に僕の名前がでているでは、ありませんか!

こんな、強引なお誘いメ-ルで、市民オペラ会に参加することになったわけです。

チイ:おだてにのるとやめられなという植木等のズーダラ親父というわけね

人目見た娘にたちまち惚れて

おだてに乗ればすぐ手を出して

俺がそんなにうまいわけないよ

分かっちゃいるけどやめられない

アホレウイスイs-ダララッタ

スダラカホイホイ

青島幸男 スーダ節、一部改作

それでは、大変と、高松在住のオペラ先生を探しての特訓となった次第で、まずは、声出しの基礎から!

「地面に足を強く踏みつけて、足の踵から声を拾って、お腹に貯めて、頭の上から声を出しなさい」と、このデッパラのお腹に手を当てて、お腹に」力、お腹に力と、何度も指導されるが、さっぱり、意味が分からない。

真人の息は踵を以ってし、衆人の息は、喉をもってする

と、いう荘子の諺があるらしい。

取りあえず、詩吟の声出しの「臍下丹田」に、響く技で切り抜けましたが、稲本先生からは、デップリ体は、オペラ向きだと、励まされ、どうにか2ケ月間のドレミフソラシドの2音階の声出しに耐え抜きました。

オペラ先生に、「旨く聞こえるようにする歌い方は、どんなでしょう」と質問したら、今はそんなこと議論するレベルではありませんよ!

「旨く歌えなくていいんですよ、厭らしく聞こえなければ」だって!

成程、言い得て妙ですね!と斉田君

「こんな嫌味タラタラのダンプテイ親父の歌声も厭らしければ、みんな、観客席から逃げていかれてしまいオペラ界も台無しですから

「旨く歌おう、旨く歌おう」と、意識すると作為が表れて厭らしくなるわけで下手でもどうどうと自身をもって声を張り上げれば良いのですよ」とアドバイスされる始末

なりふりかまわず、声を張り上げようなんて、もっての他ということね。

ところで、ダンプテイの初役は、どういう訳か、チョイ役のリゴレットの刺客、ベネチアの運河での刺客の役柄

勿論、秦教授は、主役リゴレットです。

新米の くせして文句 役不足

と、思うが、未だ、修行の身、役柄に文句も言えるわけもなく、「ハイ畏まりました刺客の役を承りました」です。

秋深む 新たなる趣味も 加わりて

始めての舞台だから、それは、緊張するし、一歩間違えれば家柄に傷がつきます奈落の底行き、

初舞台 命をつなぐ かずら橋

「マアー大袈裟なこと、家柄って、徳島のかずら橋程で、大したことないのに、それにしてもダンブティは、無謀なことをしたわね」と、娘チイの励まし

憂や憂 傍若無人の 初舞台

オペラの世界を知らぬ素人の怖さしらず、憂ふべき状態で、舞台の日が迫ることの恐ろしい日々

初オペラ 舞台も迫る 虎落笛

舞台の日が迫り来る気持ち あせるばかりで

初舞台 刺客の声も 擦れ消ゆ

桃栗3年柿8年柚子の大馬鹿18年

オペラの道は18年、詩吟の道は3年といい、詩を選んだ訳だが、どういうことであろうか難しいオペラを歌うことになるとは!

よもすがら 能無き者の 研ぐ草かな

と、オペラの能無きこと悔やまれ、それでも磨けば光るかと研磨すること哀れなり、後は、石の上にも1か月でしかないが頑張るのみ

大鳶も 鷹とみまがう 朧月(秋)

暗くて主役の共演者との区別ができないことを期待して、もちろん鷹は共演者である。

兎も角も、舞台が終わって人安心

:初舞台を終えた気持ちは、と娘に問われて

本舞台 終えて安堵の 初オペラ

この俳句のチイがいうには

安藤美姫オペラ座の怪人アイススケートをうまく終わり終えて、ヤッターって、演技後の雄たけびということかしら!

とにかく、日本文化では、ヤッターと思っての雄叫びなんては、失格ですよ、朝青龍のように、勝って、どや顔をするのは、マナー違反ですからね!

いずれにしても、ダンプテイの内心は、念願のオペラ発表会に出たことが自慢したいのよね!

その昔 オペラ出演 自慢して

このつけは、

恋の手本は オペラといって

「ところで、ダンプテイは、昔の職場では確か詩吟の同好会に入っていたようですが、高松では、やってるのかね」

と、里田君

「いえいえ、詩吟も中々いいもんでしてね、止めるわけにはいきませんから高松の詩吟の愛好家の臥龍会という詩吟の会にダンプテイは参加しましてね!

時々、発表会があると、何千人という愛吟家が集まってくるから驚きですよ、高松では、詩吟愛好家の爺さん、婆さんであふれている。

ここでは、歌好きが多いから、あちこちにカラオケ喫茶なるものも一杯あって、真昼間からおばちゃんたちがマイクを競いあうような雰囲気で、歌を披露する素人演芸家で高松の街は溢れていましたね!

東京のようにカラオケボックスでなくて,喫茶店で皆がコーヒーを頂きながら歌を競い合うわけで、開放的な雰囲気は楽しいんですよ!

直ぐに、声を掛け合って歌仲間になってしまう。

こんな、車中のダンプテイの趣味三昧の自慢話しをしてる間に、我々は今晩、宿泊する五色台の国民宿舎に近づき、山の紅葉も色ずいて美しい。

この五色一つの山に白峰があって、ここに保元の乱で負けた途中の崇徳院がこの讃岐に配流となって、この峯に葬られている。その遺跡を訪ねた。

ここでもダンプテイの文学自慢を一つご披露した。

崇徳上皇は、讃岐帝などとも言われますが、院政期でしたので、幼くして天皇になり、若くして上皇になりますが、保元の乱に関連して、讃岐の国に配流されます。

取り調べに訪れた朝廷の使いは、「生きながら天狗と化した」と、また、今昔物語では西行が讃岐を訪れた際に怨霊となって現れ、呪いの上皇として神として奉られるに至っていますね!

特に、後白河天皇を呪い、ヒゲや爪を伸び放題に伸ばして恐ろしい姿になり、

ここもまた あらぬ雲居となりにけり 空ゆく月の影にまかせて

虫のごと 声立てぬべき 世の中の 思ひむせびて過ぐる頃かな

と、歌を残している。

崇徳院が讃岐に流されたおりには、御白河天皇が和歌より今様を重視されたために、西行は、これを嘆いて大原の寂然との間で歌を詠みあっている。

言の葉のなさけ絶えにし 折節に有りあうことこそ悲しけり 西行

和歌に秀でておられた崇徳院は、「これで、世が乱れ 和歌の情趣の失われてしまう時代に行きあってしまったわが身を悲しく思っています」と、嘆かれた。

この和歌に寂然は、

敷島の 絶えぬる道に 泣く泣くも 君とのみこそ 跡を偲ばめ 寂然

和歌の道も絶えてしまいそうですが、この悲しみを、あなたと共に崇徳院の跡をしのびましょう。

そして、崇徳院が亡くなられたあと、世の中が落ち着いてから、西行は慰霊に讃岐を訪ねている。

讃岐の白峰の崇徳院の墓に詣でると、そこは、あまりにも無残な姿

よしや君 昔の玉の床とてもかからん後は何かはせん 西行

たとえ、玉の床にあられたあなた様がこんなことになられても 恨むようなことはなさらないでください。

雨月物語では、

「(からから)と笑はせ給ひ,お前は知るまいが、平治の乱を起こしたのはわたしだ,。見ているがよい、そのうち天下に大乱を起こしてみせよう」, と、崇徳院は、すっかり復讐の鬼と化していました。

あさましや いかなる故の報いにて かかることしの有る世なるらん 西行

そして、

ながらへて終に住むべき都かはこの世はよしやとてもかくても 西行

こんな都は、長く住めるような里ではありません、現生のことはもういいでしょう

と、西行は都を離れて旅に出るきっかけになったと、思われる歌を残している。

ところで、この近くには滝宮というところがありましてね、嵩徳上皇

瀬を速み岩に瀬かかる滝川の割れても末に逢わんとぞ思う

と、配流になったときのその悲しみを詠んでいて、これは百人一種にありますね

この歌には、配流した恨みも込められているが、更に、

泣けば聞く、聞けば都の寂しさにこの里過ぎよ山時鳥

と、この地の時鳥も 崇徳上皇の心を察して、口に木の葉を咥えて、鳴き声がもれないようにしたという言い伝えもありますね!

こんな、崇徳上皇の詳しい話を止めんとばかりに、里田君

ところで、崇徳院の名前は、「祟」と書くけど、怖ろしい名前ですね!

それでは、少しその名前に関して解説しましょうと、またまた、ダンプテイの自慢話が始まる。

古は、生前と死後では名前が帰られて称せられる習わしがあり、死後の名前は、諡号です。

徳という天皇につけられる字も壇ノ浦に入水した安徳天皇承久の乱で敗れて佐渡で亡くなった順徳院、古くは中大兄皇子(のちの天智天皇)との政争に破れて、置いてけぼりにされた孝徳天皇など悲劇の天皇命名されていますね!

順徳天皇鎌倉幕府により佐渡に流され

思ひきや 雲の上をば 他所に見て

真野(佐渡の火葬の地)の入り江に 朽ちはてんとは

と、悲劇の天皇でした。

徳と名前をつけたのは、惨めな最期を遂げた人々に功徳を捧げる「功徳の徳」とも思えますね!

この考えからすると聖徳大使も不幸な死ではなかったとするのが、井沢元彦の逆説の日本史2古代怨霊編にかかれていますね!

その説からすると高倉天皇の妃であった建礼門院徳子も最も悲劇的な死を遂げた姫と言われています。

「夫が病死したと思ったら父も亡くなり、兄弟はほとんど討ち死にした上に母と息子が入水、後を追って自分も身を投げたら、一人だけ敵に助けられて三十年も生き続けた」という壮絶な人生を歩んだ悲劇の人

随分と脱線した話がつづきましたが、我ら四人衆を乗せた車も金毘羅まじか

象頭山が車窓からは見える

そういえば、与謝野蕪村

象の眼の笑いかけたる 山桜

と俳句にしている。

この金毘羅に到着すると、そこには虎屋なる旅館風のウドン屋があり、饂飩をご馳走になる。

金毘羅に 怪人集う 秋の風

虎屋といえば、関東では、羊羹であるが、流石さぬきではウドン屋で、ところ変われば店変わるである。

金毘羅階段の登り口までくると、道脇の店のおばさんが駆け寄ってきてマッチを手渡される。

煙草飲みではないので、マッチは不要であるが、まあ―無駄にはならぬとポケットに収めて階段をひたくらと登った。

階段の途中の巨大プロペラが奉納してある。

なにしろコンピラ様は海の守り神、船の道具があれこれと奉納してあるようで、世界一周ヨット航海を果たした堀江健一のアルミリサイクルヨット、アーメイド号もこの金毘羅に奉納してあるらしい。

それにしても宇宙飛行士の毛利さんの絵まで奉納してあるのがなんとも面白い

宇宙ロケットも飛行船であるから、危険を伴う船の旅で、金毘羅に祈願したのかと思われる。

さて階段を下ってくると、先ほどのマッチの叔母さん

「アーラ、マッチを手渡したお方ですね、どうぞお買い物をなさって」と、馴れ馴れしく、強引にそでを引かれての土産売りの客引きの挨拶

その魂胆たるや、マッチを手渡して数時間もたっているのに、「旦那様の、顔を覚えてたわ」と、言わんばかりである。

認知症になってもおかしくない叔母さんがこのダンプテイを覚えているのは、この親父、余程の忘れない特徴があると見越してのことで有ったに違いないと、仲間にいうと、

ソリャその評判の悪い髭のせいですよ

と、髭を剃れと、言わんばかり

折角の四国の旅、金毘羅歌舞伎を見なくてはと予約した金毘羅歌舞伎の演目が景清

升席のイロハニホヘトのイの一番で、最前席で、吉之介の盲目の眼から溢れ出るばかりの涙の演技には感動である。

島流し イロハニホヘト 景清忌

平家物語での島流しにあった悲劇の武将としては、藤原景清ですね、この屋島の戦いでも大暴れして源氏の武将の兜の錣を引きちぎったその錣を振って「我こそは都で名高い悪七兵衛景清」と大声で名乗りをあげた。
世に名高いしころ引き

この景清、源氏に捕獲され、源氏への謀反の気持ちはないと、自ら自分の眼を切り抜いて盲目の身となり、日向に流された。

娘が流刑の地に訪ねてきたが、自分は父ではないと、送り返すという悲劇の歌舞伎の演目

ダンプテイの歌舞伎解説もまた、延々と続く

政権争いでの悲劇は、島流しに逢った俊寛ですね、歌舞伎等の演目にも登場します。

俊寛島流しは、平清盛の跡目相続に反対しての鹿ケ谷での謀反をとがめられてのこと!

俊寛ら三人の島流しは、鹿ケ谷での清盛の治める平家打倒陰謀が発覚してのことで、

なぜ、俊寛だけが恩赦を受けなかったかは、平家物語では、信仰が他の二人よりなかったからとされますね!

例えば、恩赦を受けた康頼は、島流しに遭った地から千本の蘇東坡に

薩摩方沖の小島に我ありと親には告げよ

八重の潮風

と歌と共に流したが、そのうちの一つが厳島神社の僧により拾われた。

その頃、建礼門院が懐妊していて、物の怪に悩まされていたために、恩赦で助かったわけである。

俊寛だけが恩赦が無くて島に取り残されたときの平清盛への怨念は、いかばかりか

ところで、この金毘羅の悪人親父の四人衆は、金毘羅を後にして、帰りは瀬戸内美術館である。

その後は、日も暮れかかっていたが、弘法さん縁の善通寺でお参りをしますかとお誘いしたが、信仰心も薄い連中、早く帰って、ダンプテイがお勧めの高松の興新というレストランに早く生きたいらしい。

帰りに観音寺という町を通ると、「寺という漢字がある市は、いくつあるか存知あるか」と、斉田君

香川の住民としては、この観音寺市と線通寺市はおもいつくがあとは思い出せない。

答えは藤井寺市国分寺市が答えらしい

江戸時代では、遊びの旅行には、厳しいがお宮まいりとの口実での旅が盛んだったそうである。

伊勢参り大山詣り、それに金毘羅詣lが有名だったそうで、金毘羅詣にいくときには、「金毘羅船々シュラシュシュシュ」という気分だったし王である。

なにしろお祈りに出かけると、いえば、誰も非難できないけど、実は、女郎遊びが目的での参拝者も多かったとか

金毘羅ふねふね、追い手に帆掛けて

シュラシュシュシュ

これも、芸者遊びの歌だそうで、船とは、女性上位の性交体位らしく,女郎の上に乗っての船遊びを予感させるエッチな歌

高松まで、来たら、是非足を延ばしてほしいのは、宇和島の多賀神社、通称凹凸博物館で、男根の秘宝の博物化があると助平な里田さんのご要望

凹凸とは当然ながら男と女のことを意味するエッチグッズにご感心があるようだ。

本尊には、立派なものが陳列してあるそうで、ここの神主は、陰陽学の博士とか?

久保盛丸という名前も盛んなりマラというだけあって、世界の秘宝を集めた博物館を神主であれながら、研究されて艶本を出版されているそうである。

そんなに感心がおありなら、今夜は我が家で珍比べでは如何かと、冗談にも過ぎることを申すものがいる。

忘れられないのは、チン念仏よりもタカラの苺大福、

たかが、苺大福だけど、これをお土産にして帰らないと、外でキンタマを冷される身となるから恐ろしい。

たからとも ならぬたからの 苺餅

もちたるたから 我が身キンタマ

注:元歌は、一休話の

たからともならぬたから彦八が

持ちたる金は我が身キンタマ

 

こうして、我が仲間との讃岐珍道中は、終わりました。

またたびと 別れて寂し 猫目草