ハンプティのブログ

ハンプティ・ダンプティのように、いつもずっこけぶりを発揮しています。

ダンプテイ親父の柿食えば

ダンプテイ家の庭には、柚子、夏蜜、夏蜜柑、葡萄、柿、それにキュウーイの木、更に柿の木が植えられていて、訪問する客には、主がいかに

食いしん坊であるかを知らしめている。

これらの木には、色々な思い出がつまっえいる。

どういう訳か、柿の木は、あまり実をつけることなく、花が咲いて、小さな実の段階で落ちてしまうことが多い

くり返すお辞儀に柿の落ちにけり 夏秋明子

一方、柚子は強い、一本の木で数百個もの実が、地に落ちることなく、実るのである。

ハンプテイは、三人の子供を育てる身、こんな縁起もない柿の木と思ってかて、、ダンプテイが大切にしていた柿の木を切り倒してしまった。

成るか成らぬか 怠け柿

成らねと この枝成ぶっ切るぞ 白秋

と、北原白秋の詩の心境であろうか

キューイは、香川大学農学部の望月教授の農園を訪れたときに、手に入れた苗木を庭に植えたが、これが実に多くの実をつけた。

この教授とは、大学発のワインの発売に支援した中であるが、先生の推奨された球威だけあって、豊富に実のなること、四方八方に枝を成らせて、このまま、放置しておけば、庭中にキュウーイの木蔓が這いまわり、我が家は蔦屋敷に成るのではと、心配するほどであった。

ところが、ある年、雄の木の方が枯れてきて、キューイの実が「はた」と、成らなくなってしまった。

どうやら、キューイは、雄木と雌木が共に育たないで、どちらかが、枯れれば、実が成らないらしく、考えてみたら、これは人間と同じで、男の精力が衰えれば、子は出来ぬ、何の不思議はない、自然の営みだと教えられた。

ところで、柿のお話、幸田露伴は、子供の教育のために、子供三人に平等にと、柿の木を三本を庭に植えさせて、自分で、それぞれ世話をさせ自然への慈しみを学ばせたと、娘の幸田文の随筆に出てくる。

文は、父露伴の子供への花への拘りをこんな文で紹介している。

「あるとき、文は、子供つれて、近所の縁日に植木を身にいった。露伴は孫娘のために何か買っちゃレと、蝦蟇口を文に、手渡した。

娘は、藤をえらんだ、しかし、露伴は、子供には、藤は、贅沢だと思い、山椒を買い求めた。それでも娘は、無邪気に喜んだ。

家に帰ると、文を露伴が、こう叱った。

「多少、値の張る買い物であったせよ、子供の選んだ藤を、子の心の養いにしてやろうと、何故、おもわないのか、その藤をきっかけに、どの花をも愛おしむことを教えてやれば、それは、この子一生の心の潤い、女一代の眼の楽しみにもなろう」

ところで、今日の話題は、柿としたが、ダンプテイが生まれた故郷の美濃になる果物は、柿であるから柿には、故郷の匂いがする。

冬の景色といえば、軒先に干してある吊るし柿

古びた藁屋根に赤い柿の実が、鮮やかに目によみがえる。

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写真 後藤明子

この田舎の写真は、明子姉さんが故郷、美濃で撮った写真ですが、こんな田舎風景が、思い出されます。

ふらりふら 見知らぬ家の 吊るし柿

美濃は、富有柿の産地、田舎に行けば、どこの家にも柿の木が植えられていましたが、

里古りて 柿の木持たぬ 家もなし 芭蕉

これは、嫁入りする娘が苗木を嫁ぎ里に植えて、子供の成長と共に、その木を育て守り続けた習慣が芭蕉の故郷には、あったそうで、美濃の民家もどこの家にも柿の一本や日本植えられていた。

芭蕉もそうであったように、ダンプテイも学校帰りに道端に成っている柿を摘まみ喰いをしていた。

柿の木や 盗み食いとは 無分別

石川五右衛門の大泥棒も柿の盗み食いから盗み癖が始まったそうですから幼い頃の習慣は、恐ろしいわ!」と、ハンプテイは、ダンプテイを非難するも、娘のチイは、咎めを受けての五右衛門の屁理屈が面白いのよね、だって、柿は持ち主のために実をつけているのではなく、誰かが吐き捨てた柿の種が勝手に実っているだけじゃ、川の水のように、誰でも自由に採って、いいもんじゃ!」と、五右衛門も申していましたわ」と、ダンプテイを援護してくれるからありがたい。

しかし、これが、後に無分別な大泥棒のになった訳だから、幼いころの分別は、大切である。

ところで、美濃の国、関出身の芭蕉門下生の「惟然」も柿が大好きの無分別

育ち良き酒屋の家柄であるが、家を捨てての放浪歌人に、芭蕉との別れの際には、

別かるるや 柿食いながら 坂の上

俳諧師に似つかわしく、飄々として柿を歩きながら食べる様を句にしているが、惟然も野柿を盗みとりして食べていたに違いない。

惟然は、こんな性格だったから無分別の高みを理想とした特有の俳風と、なっていったようだ。

そんな、惟然が幼い頃に、遊んだであろう、善光寺界隈

鐘一つ はや日短かの 善光寺

ダンプテイも美濃で過ごした幼い頃の善光寺の鐘の音、そして、田舎言葉を思い出します。

母:「寝ちょっとらんで、 はよおきんさい、そんして、ハヨまわしして学校いきんしゃい」

僕:「手が凍って釦かえへんよ」

母:「ほうかね、ほうかね、しっかりしちょんさい、学校から帰えちょったら、デレー好きな干し柿食べるさかい」

僕:「俺、干し柿大好ききやら 食べたらあかんで、ちゃんと、とっといて」

木枯らしが吹きすさぶ中、子供達のおやつといえば、軒に吊るした甘い干し柿

このつるし柿の甘いこと、甘さに飢えていた子供にとっては、この甘さは、たまらない

友来るや 柔い干し柿 ぶら下げて林雄二郎

柿の木の無い商家の息子だった僕には、吊るし柿は、何よりの好物、また、柿の木は絶好の遊び道具、おやつといえば、柿とか芋とかの時代であった。

主が放置している 山裾の柿の木

登られて、枝を折られ、投石されて傷がつく

熟した柿の実も食いちぎられて木守柿

そして、いつしか、

実の成らない木となり、枯れていく

不幸な私よ、果実が実らぬゆえに

辱められ、朽ちていく

何時か自分も立派な実をつけようと、社会の厳しさも知らず美濃から東京に飛び出したのである。

水鳥や 向こうの岸へ ツーイツーイ 惟然

娘のチイが、向こうの岸って、三途の川の向こう岸ってことね!と尋ねてくる。

これは、幼い頃に育った親元の地の美濃を離れるときの長良川の向こう側へ行く心境だったに違い無い。

蹴れるかどうかわからず、丸裸同然で旅にでる姿は、真っ裸というのが、惟然の境地であろうが、芥川龍之介が中学2年の時の俳句では

水さっと 抜き手ついつい ツーイツーイ

芥川の俳句やカッパの作品に出てくる河童のヒントになったのは、惟然の俳句であったに違いない。

美濃での柿泥棒をしたダンプテイの悪戯坊主も今や、東京に出て、もう50年を経へんとし、今では、老いぼれた木守柿の身である。

老いぶれて 役に立たぬや 柿のへた 三鬼

と、俳句師のこんな俳句を披露すれば、娘のチイ

マー何たる下手くそな柿の俳句ですこと

へたへたと 笑ってヘタな 柿のへた

元句 へたへたと笑ってヘタなナズナかな 壺角

と、批評される俳句こそ柿のへた

チイは、俳句の面白さを理解していませんね

と申せば、

下手(へた)であれ 好きこそものの上手なれ といいますから、と、口応え

 ところで、牡蠣の話にもどり、我が兄も中々の俳句をつくっていましてね、美濃の柿の名句がありますから紹介しますよ

一人居て ものおもふ日や 木守柿

岡田峰明

ダンプティのお兄様は、こんな情緒のある句と絵を作られているのに、同じ兄弟なのかしら?

と、ハンプテイも訝るが、確かに兄とダンプテイとは、センスの違いが大きいことは確かである。

どうやら、ハンプテイ、スマートで心優しい義兄とデブッチョのダンプテイを比較しての口ぶりで憎い限り、ダンプテイの下手な俳句に比較して義兄の俳句をベタ褒めなので、癪に障るから

それでは、ダンプテイのこんな俳句は、如何でしょうか?

君が恋 柿のへたとも おもわれず 

柿は柿でも柿のへた,柿のへたと思われずとは、恋の仕方が上手だと、ハンプテイの心中を詠んだつもりであるが、

ハンプテイは、「マー、ダンプテイの俳句、とても柿のヘタとは思われず、それこそ歳をめされたアンポンタンのアンポ柿ですよ!」と、今度はアンポンタンにされる始末。

ダンプテイも昔は、柿の木の下でケンケン遊びをした元気坊やでしたけど

今では、ケンケンもままならぬ足腰

秋の風 ルンルンケンケン アンポンタン

坪内捻典

「たしか、この俳句、春の風だったはずだけど、アンポ柿は秋だから、仕方がないかしら!」と、ハンプテイ

それにしても柿のヘタに続いてアンポンタンとは、手厳しい。

チイ:でも、アンポ柿とは、美濃の名産、熟したゼリー状の甘い味、歯の抜けた婆様殿に愛されている蜂屋の柿

徳川家康大垣城に迫った時に、地元民から、この甘いアンポ柿の提供を受けて、「われ、戦わずして大柿を手に入れし」と、駄洒落を発したとか

今では、全国の生産量は福島県に完敗しているが、当時は、この地の小説家「坪内逍遥」が蜂屋小学校の校歌をつくっているがその中に雲居の方に進呈した蜂屋の柿が歌われている。

千歳のその名に高く

雲居の供御ともなりぬ柿

蜂屋、蜂屋、蜂屋、蜂屋

蜂屋の柿といえば、熟し柿で、あの甘い触感、触れば、直ぐに薄い皮が破れて中身がはちきれんばかり

ついつい、梅田清輝の描いたマンドリンを持てる女のモデルの豊満な乳房を想像してしまい、ますます想像力が豊かになり、ついつい、こんな絵も描いてしまうから

熟れ柿や 馬鹿が頭の 中あるき

注:元句は、秋元不死男の熟柿吸う馬鹿が頭の中あるき

と、頭の中は馬鹿親父と言われても仕方がない。

 

ダンプテイ: 柿と言えば、秋ですね!

 

乳房に ああ満月の 重たさよ 富沢赤黄男

ハンプテイ:嫌だわ,でっかいオッパイの曝らしよう

それにしても、このダンプテイの柿の絵

生き恥を もはや恐れず 木守柿 檜紀代

では、ございませんか!

チイ:いやいや、ダンプテイの吊るし柿は、

木守柿 我が馬鹿を 世にさらし 松崎鉄之介

それとも

柿すする 甘汁垂れて 屁も垂れて

ハンプテイ:厭らしい、ダンプテイの熟し柿のパクつき様、それにしてもこの俳句は、一寸、直球すぎませんか?

チイ:それでは、間接的な表現で

中年や 遠き実れる 夜の桃 西東三鬼

だったら許されるかな!

ハンプテイ:中年の乳房が柿から桃に代わったわけね!

どうやらこの父娘は、柿やら桃と果物がお好きなようですね!

齧り付いて甘い甘いと恋もこんなに直接的だと色気がおまへんで、下手な俳句としか言いようがありませんね!

ところで、ハンプテイが、この絵を見て申すには、ダンプテイの狂った頭も、熟し過ぎた柿の実ように、痴呆症の親父となって、たわわに実った柿の実をただただ、口を開けて眺めている情けない男なのよ!

 

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:上の絵の腹の中の隠れた絵の拡大した絵

だから、たわわに実った柿も誰も食べる者も無く、木守り柿となって、不機嫌な果実となっているわけですね!

注:不機嫌の果実は林真理子の小説、欲望の対象に到達できない空虚な内面を表現している。

黙って、ダンプテイのエロ絵を眺めていたチイ、思い出したように、

三鬼さんには、こんなエロチックな作風の俳句もありますね!

海から誕生 光る水着に 肉つまる 三鬼

この西東三鬼さん、医者でありながら、戸籍上の妻、事実上の妻、若い妻と女性の敵、フシダラ、不道徳な女性関係を持つ鬼の男と言われていたそうですからもってのほかだけど、ダンプテイもこんな絵を描くは、三鬼さんと同然と申される。

ダンプテイは、たとえ貶されても

今は自分の作品への思い入れは、強い

「あふれるばかりの乳房では、ございませんか、秋は熟した柿の実だけど、この句は、真夏の熟し柿、実に欲表現されている!」と、常軌を失なっている。

季節が戻りますが、春は梅です、猫の恋の季節でもありますね!

青梅や 初潮の兆し 岩清水

チイ:冬になれば、吊るし柿もいいですね

吊るし柿の産地である美濃の景色が思い出されますね!

柿すだれ 三度乗り継ぎ 無人

東京からだと、新幹線で、名古屋で乗り換え、名鉄で岐阜まででて昔は名鉄美濃町線が廃止になって、今は、長良川鉄道で美濃関まで

廃線の レールが揺れる 大暑かな 岡田峰明

チイ:美濃関に住むお兄様の俳句ですね、私も歌で対抗すれば、

笑一番笑賛同、人生笑があってぞ、豊かなり

ダンプテイ:なにぞ、このチイ歌、笑、笑の歌でございませんか、もう少し、文学的な教養を積んでいただかなくては、例えば、正岡子規の名句に

三千の俳句を閲し柿二つ

があり、随分と子規も勉強に励んでおられます。

子規も柿が大好物だったようで、漱石によれば、な、子規は一度に柿を16個も食べたと書物にかいている。

事実、子規は、「我れが死し後は」と、前書きして

柿食ひの 俳句好みしと伝うべき

柿食うも 今年ばかりと思ひけり

と、遺言めいた俳句にも柿が登場していますからね!

ハンプテイ:俳句3千に柿二つと数の対称性が面白いですね、いくら柿が大好きでも精々、柿二つが限度だとおもうけど、

虚子は、正岡子規との交流を小説にした本を発行し、そのタイトルを「柿二つ」にしているのは、この俳句に由来しているそうですね!

ところで、詩人の鈴木三重吉は、食べ物に拘りがあるようで柿については、こんなことを書いていますね

柿は広島の西條柿が一番うまいと自慢して次に干し柿をけなして、「干し柿なんてものは、黒人のキンタマのようで気持ち悪い」と、童謡詩とは、打って違ってどくどく表現である。

ダンプテイ:いやいや、あの白い粉が付いている干し柿を細かく切って、お茶のつまみにするのは、格別ですよ!

ところで、干し柿は、牛のキンタマと、言うらしいですね、なんとなく、キンタマに似ているし!

これを食べると、子が授かるという縁起物というじゃないですか!

 ハンプテイ:どこかの、御肉屋さんは、これを歌い文句に、馬や牛のキンタマをメニュウに加えているらしいしね!

牛肉を柔らかくするために雄の牛肉のキンタマを去勢するらしいけど、この副産物を利用するというわけ!

チイ:キンタマキンタマと、恥ずかしくて、チイは、堪まりませんは、

キンタマを 思えば寂し 秋の暮れ

ダンプテイ:なんですか、キンタマさえ俳句にするとは、驚き

柿もぎの 金玉 寒し 秋の風 良寛

良寛の俳句もなにか俗っぽくて、頂けないけどけど、良寛さんだから許される。

チイ:いえいえ、良寛ではございません、芭蕉

元日や思えば寂し秋の暮れ の名句をパクリしちゃった。

月見れば ちぢにものこそ 悲しけれ 我が身ひとつの 秋にはあらねど 大江千里

と、いう秋の季節感が表出されているでしょ

ダンプテイ:この和歌は、蜀山先生の食欲の秋の歌に、似てますね!

月見みれば ちぢに芋こそ喰いたけれ 我が身一人の 好きにあらねど 蜀山先生

ロン:秋の月見に芋が飛びだすとは、これ、いかなる芋でござるか

ダンプテイ:下見れば ちぢに芋こそ 寂しけれ わが身 一つの芋にあらねど

大切な我が息子のことでありますが、この息子が何と歳老いて、萎びておりまして情けない。

ご不浄や 股間に下がる 柿二つ

で、ございます。

大伴家持万葉集で歌っています。

夢の逢 苦しかりけり 目覚めつつ

かき探ぐれども 手にも触れねば

ロン:これは、夢の中での遠く離れた地においてきた妻との出会い、目覚めたベッドをまさぐるのに。君には指先が触れることができない

と切ない男女の恋愛

「萎びて、暗いご不浄で手探りしても我が息子見出せず」という股下の小芋という俗なエロ話では、ございませんよ!

ダンプテイ:しかし、我が命あってこその、芋種ですからね!

子孫代々のために芋種は大切にしないと!

命こそ 芋種よまた 今日の月 芭蕉

チイ:それにしてもこの狂歌たるや風雅を愛した芭蕉の句とは、ナンタルチヤ

この芋種は、命あっての物種と,違いますか

ダンプテイ:命あってのこと、とにかく芋種は、大切だということですね

確かに、命あってこそ、今日の月を見ることが出来たという俳諧性を感じることができますね

芋種も生命の根源ですから、命あってのものとイメ-ジさせてくれるから、この俳句は、これでいいわけですよ

ハンプテイ:先程のダンプテイの柿二つの絵だけど、お腹の中に、微かに見える映像が謎だけど、もっと、ハッキリ見せてほしいわ!

ダンプテイ:済みません、一気呵成に描いたもので、我が姿を隠しています。失礼しました。

見えそうで見えないのが、秘めたる美というところ、ここは、要望にお応えして川を支配している竜王の姿をお見せしましょう!

チイ::川面に浮かぶ厭らしい男、これが、乙女の体に宿る竜王というわけね、馬鹿らしい!

これこそ、太陽の季節の男なら、石原慎太郎の朧月では、ないのかしら?

ハンプテイ:太陽の男、石原慎太郎も今は、斜陽の男、朧月ということかしら?

築地問題の追及に対しても覚えていませんばっかりで!          

月は朧に築地山 霞む夜ごとのかがり火に

夢も誘う東京五輪

ダンプテイ:イエイエ、慎太郎さん未だバリバリの現役で活躍する嵐を呼ぶ男でございます。

おいらはドラマ ヤクザなドラマ

おいらがおこれば 嵐を呼ぶぜ 井上梅次

ハンプテイ:太鼓叩いて嵐を呼んだつもりが、登場したのは、石原裕次郎主演の「狂った果実」では、ございませんか!

チイ:狂った果実ではなくって、武蔵野夫人のような「腐った果実」ですだわ!

俳句界の山柿を目指しておられるのですよ!

急かされて これぞまことの 目刺なる 

ダンプテイ:目指しが目刺になって、我が俳句の山柿の道も目先真っ暗の暗中模索ですわ!

ハンプテイ:なんですか山柿とは、ダンプテイのいちかばちかの山師の道とは、違いますかね?

ダンプテイ:そんな疾しい者では、ございません、これは、山上憶良柿本人麻呂とに因んでの名前、芭蕉の弟子である去来の隠居した庵で落柿舎と京都嵯峨野の観光名所となって居て、柿は、何かと俳句や和歌と関係が深いですね!

ダンプテイ:落柿舎は、嵐山に近いことから

柿主や 梢は近き 嵐山 去来

嵐山に近いから柿主よ、この落柿舎ではござらぬが、秋風には用心せねば,という俳句の趣向でしょうか!

チイ:ところで、ダンプテイも次々と俳句や漫画を持ち出されますが、兄貴様の絵心と俳句の趣向には及びませんね、完全に兄貴に負けています。

柿二つ 手に届きそう 届かない 

ハンプテイ:この連れ句の心は、

旅はかき捨て つまみ食い

旅の恥はかき捨てなんて、盗んだ柿も恥のかき捨てかどうかしらないけど、ロハだからと,言って、道端で食いかけの柿を捨てるなどもっての他ですから!

それに、他所の庭になっている柿泥棒は、止めて下さいね!

ダンプテイ:いえいえ、折角の旅土産

熟し柿 捨ててはおけず つまみ食い

チイ:どうも親父の俳句は、いけすけないわ

柿二つ 読まず書かずの 日のあたり

小川双々子

ダンプテイ:これは、これは、俳句のお手本のようなのを紹介して頂きました、かたじけない。

冗談が過ぎましたが、この柿二つの絵を画いたのは、愛媛出身の正岡子規の病状を綴った二人の友情に関しての高浜虚子の「柿二つ」という小説に因んでのことですから悪しからず。

それに子規は、柿が大好き、3千の俳句を詠み終えたような満足感があると俳句にしている。

三千の俳句を閲し柿二つ 虚子

チイ:この虚子の俳句は、虚子の数少ない小説「柿二つ」に出てくる俳句ですよね!

正岡子規が三千の俳句を評価したあとのご褒美で柿を二つ食べたときの俳句ですが、よほどの柿好きであったらしく、剥いてあった柿の皮まで食べたそうです。

ダンプテイ:そうなんです、僕も柿は大好きですから、柿に因んだ詩に、挑戦します。

題 秋の柿の歌

タワワに実る 柿二つ

助平親父が 食べたがる 食べたがる

駄目よこの柿 毒あるよ 毒あるよ

ほんまこの柿 何時食える 何時食える

タワワに熟す 秋の暮れ

渋みがとれた 秋の頃

タワワに実る 柿二つ

チイ:マーこの絵ったら、

怖るべき 乙女の乳房 秋来たる

注:元句は、恐るべき君等の乳房夏来る 西東三鬼

柿の実は、乙女の乳房で、タワワに実る秋の到来ですね!

高貴なる 柿に似たりや 美女の胸

落ちんばかりに 秋は来にけり

ダンプテイ:こんな熟し柿だと、ガブリといきたいですね!

田舎旅で、こんな柿に出会ったら

かきくけこ 喰はではいかで たちつてと 

松永貞徳

と、どうしてこんな柿を食べないで、ここを発ちましょうぞ!

ハンプテイ:浮き浮きと 乙女の乳房 秋に熟す

と、いうことかしら、それとも

柿二つ 御空の下に 輝けり 野少女一人 乳房はだけて

ダンプテイ:初めての野柿を食べるのは、ちょっと勇気がいりますね、あまいのか、渋柿か

そういえば、加賀千代さんの柿の名句を忘れておりました。 

渋かろか知らねど柿の初ちぎり  加賀千代

チイ:これは、俳人加賀千代の新婚の歌だとか、

初夜の柿ちぎりとは、初夜の契りを意味するのか意味深ですが、亭主の姫初めの気持ちを歌ったとは、度胸がありますね、

ダンプテイ:

びびらずに 食べてみてよね 初ちぎり

程度でしたら可愛い嫁なのに、こんなのだったら、思わず落馬してしまう。

もっと、積極的にすれば、

びびらずに 乗ってみてよね 暴れ馬

ダンプテイ:昔は、どこの家にも柿があり、嫁入りと共に柿の苗を持っていく風習もあったとか

初夜に、柿を齧り付くように亭主が齧り付いた乳房は、どんな味がしたのでしょう

ところで、この千代さん、亭主に先立たれ

おきてみつ寝てみつ蚊帳の広ささかな

そして、子供にも死なれ

とんぼ釣り 今日はどこまで いったやら

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ハンプテイ:チイは、こんなに文学少女だったかしら驚きですわ!

私は、柿食えば鐘がなるなり法隆寺 子規

しか知らなかったわ!

この俳句って、ただ、柿を食べていたら「法隆寺の鐘が鳴った」と、いうだけだけど、子規が作った名句とされている.

ダンプテイ:柿は、野山になっている、美味しい果物で、外で柿を食べるのは、自然な自然との共生で、のどかさを感じさせるから、柿に関しての俳句には、名句が多いですね!

林檎や桃、梨では名句が生まれにくい

デビツ:この柿への叙情は、戦後の歌謡曲にも

ラジオ放送から流れてきたあの甘い声柿の木坂を思い出す

小畑実の柿の実のような丸いホッペが醸し出す甘い歌声

春には柿の花が咲き

秋には柿の実が熟れる

柿の木坂は駅まで三里

思い出すな 故郷のよ

乗り合いバスの悲しい別れ

石本美由紀 作詞

 

ところで、先ほどの柿二つの話に戻るけど、

柿二つの俳句だったら正岡子規夏目漱石と分かれるときに読んだ俳句にも

行く我と 留まる汝に 柿二つ 正岡子規

は外せませんね!

ダンプテイ:この俳句は、柿二つではなく,秋二つだったと思うけど

この句は、漱石を送ると前書きがあるから、愛媛での正岡子規との同居生活から、漱石が東京に行く別れを汝として留まる子規の二人の秋を句にしたものです。

秋二つの俳句なら

秋二つ うきをますほの薄かな 蕪村

ところで、虚子と子規とは俳句仲間のこと、柿二つの季語には、相互に影響を受けあっていると、思われますね!

虚子が影響を受けた同郷の友人には正岡子規のほかにもう一人軍人となった秋山真之がいますね!

虚子の俳句に、送秋山真之米国行と前書きして
君を送り 思ふことあり 蚊帳(かや)に泣く

チイ:それなら、私も

入れてくれ 泣くに泣かれぬ 蚊帳の外

ダンプテイ:貧乏家族では、全員が蚊帳の中に入れずにチイだけが蚊帳の外とは可哀そう

チイ:私だけは、蚊帳の外いして、母君様は、

垂乳根の母がつりたる青蚊帳をすがしといねつ(清らかな心で寝る)たるみたれども長塚節

なんて、垂乳根の母の乳を垂らして寝てるなんて、悲しい限り、本当に子供のことなど考えていないんですから!

ダンプテイ:人事を尽くして、厳しくお育ていたしました。だから虫にも強い女に育ちました。

ところで、秋山真之の名言の中から一言を上げると「人事を尽くせ」で、

成敗は天に在りといえども、人事を尽くさずして、天、天と言うなかれ

僕は、この二人に肖って、文武両道の道を歩み、実りの秋を迎えようという心息です。

ハンプテイ:心息は、どうでも良いけど、ダンプテイーのお兄様の俳句の柿二つに関しては、雲泥の差だし、お兄様は、すっきり痩せていらして、渋い白髪が素適なのに、弟は、デブッチョで「オサマビン」とかいう鼠色のイスラム髭なんか生やしちゃって!!

とても柿二つと並びようがないじゃございませんか!

百年(ももとせ)に一歳足らぬつくも(99)髪

兄は見て良し弟悪ろし

注:元歌は伊勢物語 百年(ももとせ)に一歳足らぬつくも(99)髪我を恋ふらし面影に見ゆ

99は百から1を引いて白髪を意味する。

ダンプテイ:白きこと かみのめぐみか 嫁が君

ということですか?

かみは神であり、髪であり、白い髪は尊いものとされていた。

元正天皇が正月に雪がふるおりしも家臣に鮭を賜って

「この雪を歌に詠んで奉上せよ」に答えて

橘諸兄は、

降る雪の 白髭までに 大君に仕へまつれば 貴くもあるか

それに、白い20日鼠は、縁起物として愛されていたわけで、ドブ鼠とは大違いということですか?

チイ:お兄様の白髭と親父の黒髭とは、渋柿と甘柿のような雲泥の違い様ということよ!

ダンプテイ:渋柿 も酒でも飲んで、渋が抜ければ甘くなりますね!

渋柿や ああ壁続く 奈良のまち 正岡子規

柿は、何かと奈良での名句が多い。

ハンプテイ:柿落ちて 犬吠ゆるかな 奈良の街 子規

柿が落ちるくらいで犬が吠えるのなら、ダンプテイの髭を見た犬は、噛み付いてくるわね!

そのドブ鼠みたいな髭、なんとかしてほしいわ!

しゃくられて 馬鹿な髭ずら 奴凧

ダンプテイ:「髭のない男は、塩気のないスープを飲むようなもの」と、中東の諺がありますから、この髭を剃れません。

イスラム教の創始者ムハマドが髭をはやしていたから、タリバンでは、髭を生やしていない男は、逮捕され、髭が伸びるまで留置所に入れられるそうですから、グローバル人材は髭をはやしておかないといけません。

チイ:タリバンとは、恐ろしい、バーミアンの文化遺産だって、破壊してしまうのだから!

いつのまにか、そんな文化破壊の男になり下ってしまって情けない。

それにしても、この髭親父、本当に色々とおしゃべりが多いこと!

男は無口な人が良い

灯りはぼんやりともりゃ良い

   八代亜紀舟歌

ダンプテイ:この歌、

お酒は温めの燗がいい

肴はあぶったいかでいい

女は無口の人がいい

だったけど、嫌ですね、改作などしちゃって!

ぼくなんか、本性は、口静かで、カタクチ鰯と呼ばれておりました。

しかし、おしゃべり妻とお付き合いするように、口数が多くなりましたが、やはり我が家の虻には、私はかないませんよ!

人生五十年功なきを愧ず

花木春過ぎて夏既に半ばなり

満室の蒼蠅 掃えども去り難し

起きて禅祷を訪ねて 清風に臥せん

細川頼之 海南行

ハンプテイ:マー、漢詩まで飛び出して、感心いたしますわ

それにしても、このカタクチ鰯の口の軽いこと、甚だし

亀鳴くや 男は無口 なるべしと 田中裕明

お兄様もアホ垂れおられて、!

おれとは、同根の者とは思えない、馬鹿だって

弟のことを嘆いておられましたわ!

この馬鹿を どこで見つけた 河馬図鑑

おしゃべりも ほとほどが良し 柿の花

ダンプテイ:人に言われずとも自分のことは、自分が最も承知の介でございまして

山笑う 嘘ばっかしの 阿呆鳥

今日を限りの 四月馬鹿かな

四月馬鹿 あなたは嘘つく

うさぎは餅つく あなたと私のランデブー

馬鹿には、のどかな、田舎暮らしが向いていますね!

馬鹿だ、馬鹿だと、言われない自然が相手ですから

オーイ雲よ ゆうゆうと 馬鹿に呑気そうじゃないか 山村暮鳥

馬鹿の花  ただ波のごと  頷いて

チイ:マー、これって、うだつの上がらない糞親父

こんな俳句より、

老いぶれし うだつの街や 吊るし柿

「古びた関の街並みには、ぴったりかしら」と、申される。

そういえば、美濃はうだつの街、昔の風情が残る街、こんな街中での昔ながらの郡上踊りが踊り継がれている。

老いぼれの身では、盆踊りでも、最初は、元気ですが、夜が更けると踊りに疲れてヘトヘト、宿に帰れば、その日は、お疲れ様!と倒れこむとは、情けないことこの上ない。

盆踊り 下駄は疲れて 脱ぎ散らし

郡上が出目の我妻のハンプテイ:は、踊りのことには、お詳しい

「郡上まで出かけなくても東京青山で郡上踊り祭があること知ってる」との質問

郡上のお城の殿様が青山家で、菩提寺がこの青山にあったらしく、この地が青山となったとかで、その名残を残すのが青山郡上踊りですよ!

と、自慢げに語る。

何しろ、明治維新では、新政府樹立に討幕は、征伐に大変な貢献をしたとかで青山家は、渋谷の青山通りの大臣になったとか

ところで、盆踊りは、ビルの谷間ではなくて、山懐の茅葺の家とそこに黄色の月がないと情緒がない。

マー三池炭鉱のような田舎街の盆踊りも様にはなりますが

ハンプテイは、郡上八幡で、瓦ぶきの家が無い茅葺(かやぶき)育ちだから

郡上八幡 茅葺(かやぶき)育ち かわらないのはママのムネ,

なんて、駄洒落多俳句を披露すれば、

うだつの上がらない男の癖して、身体的な侮辱は,許るされませんは!

その怒りは、ダンプテイは、服装もだらしなく、ピチットしていないし、ズボンのチャックも観音開きだから嫌になっちゃう!

と、ダンプテイの弱みを厳しく追及されるからたまらない。

ダンプテイからのお返の俳句は

君ならず 美濃はうだつの あがる街

美濃に伝わる伝家の宝塔は、関の孫六ですから、我が息子も御開帳が原則となっていますと、ダンプテイの反撃

すると、娘のチイ、嫌だ、このちょんまげ親父、ベロも出すかとおもったら一物も曝け出して!

あれ畑 垂れた褌 芋を出す

月みれば 父の芋こそ喰いたけれ 我が身一人の好きにあらねど

チイ:嫌だわ、親父の芋を食べろだって、そんな悪趣味のものはおりませんわ!

ところで、こんなもの公開の場で開帳したらネットの炎上は、間違いなしよ!

炎上や まぬがれえぬや 御開帳

ダンプテイ:荒畑とは、女のもの決まっていると思うが、いやいや、そんなことはどうでもよいが、この娘、口も達者であるが俳句も達者であられる。

ところで、我が故郷美濃の関の吉田観音は、の9月9日に、この秘宝を一度拝めば9万9千日拝んだ効果があるとか!

物種を握れば 生命(いのち) ひしめける

 日野草城

厭らしいわ、お祈りだけだとおもったら、物種を握るなんて、チイは、恥ずかしい

こんな卑猥な物種俳句を披露したからには、失礼しました」と謝るしか方法はない。

「御高覧あれ」、というつもりでしたが、握ってくださいなんて、とんだことをダンプテイが申し上げてしまい、一物もタラタラ、冷や汗もタラタラ、いちずに誤り申します。

それではチイが、その、一物とやらを扇で「仰げば尊としわが師の恩」と仰いで差しあげましょうか

ばさばさと 股間に使う 扇カナ 丸谷才一

なんて、俳句まで飛び出すから、汗もちりじり我が娘も親の血を引いて足した器に成長したものである。

褌に 団扇さしたる 亭主かな 

が、ぴったりではないですかと、丸谷才一さんの俳句を失敬してお返しした。 

さて、神社の秘宝ならずとも、街中で、ジッパーを開けたままの闊歩する親父は、それこそセクハラ行為、

どこかのお節介叔母さんから、それとなく「オープンですわ」と、忠告されても、そんなときは、「股 やっちゃった」と、反省するような振りを見せるけど、また、やるのは、時間の問題である。

反省がダンプテイには、全くありませんから、自分ながらあきれはてております。

それにしても、お節介なお方は、いやですね、そんなダンプテイを見てそっと、見なかった振りをしてほしいものである。

こんなことを婿の前でいうと、流石英国留学をした息子のロンが申すには

万一、開帳が開いていても恥をかかせないふりをするのが英国のジェントルマンの振舞いですよ!

これは、王室の宴である妃が宴会で青色のガーターを床に落として笑いの種になりそうになったとき、エドワード3世が、「悪意を抱く者に災いあれ」と、英国の諺を述べて,王妃に恥をかかせなかった」と、いう逸話から、英国では最高の栄誉を示す賞をガーター賞として称え、この文字が青色のガーターに書き込まれて、この賞をガーター賞、もしくはブルーリボン賞が与えられることになった。

そうで、キリスト教国以外では、昭和天皇が菊花紋のガーター賞が授与されていると教えられました。

こんな英国の逸話も知らないで、日本でも映画界の賞をブルーリボン賞として称えているが、この逸話をしっている日本人はいくばかりか、流石我が婿である。

日本では、英国社交界での女性が青い靴下を履いて文芸論を交わしていたことに肖って、青踏社と名乗って、ハイカラな女性集団がいましたが、これも西洋文化になじんだ森鴎外が名づけたものだそうである。