ハンプティのブログ

ハンプティ・ダンプティのように、いつもずっこけぶりを発揮しています。

ダンプテイ親父のオトイレ談義

トイレは、人間にとって身近なこと、、随分と色々な言い方がある。

厠とか川屋とか、おわい、雪隠、はばかり、御不浄なんて、呼び名があり歌枕にさえなっている。

葛飾は おわい(肥樽)船さえ 歌枕

昔は、水の流れるところに板を敷いて、そこを跨いで尿糞を垂れていたから川屋といったし、トイレは、北側の隅にあるのが一般的で、雪もなかなか解けないような場所だから雪隠と呼ぶようになった。

娘のチイ、それに将棋等で端に追い詰められることを雪隠詰めと言うのよね!

と、将棋もできない癖に、雪隠等という言葉を知っているから感心する。

さらに、石川啄木の歌には、

死にたくなるときあり

はばかりに人目を避けて怖き顔する

と、歌まで飛び出す。

さて、便所は、この世とあの世を繋ぐ境界とされていたから、便所の傍には、南天が植えられるのは、難を転じる縁起物、物の名前にも霊が宿ると考えられていた証であるが、トイレの周りは、南天ドクダミや詫助等、なんとなく薄気味の悪い植物が茂っている。

侘助の 落ちる音こそ 幽れなり 相生垣瓜人

どうやら、花がボトンと落ちるから糞落としには、適しているとか、水洗便しか知らない子供には、こんな俳句は理解できないであろう。

雪隠の俳句には、こんな俳句もあるが、便所は、北川で西日が当たる日の当たらないところで、雪が春まで残るところにあるのがふつうであった。

敷島の 大和心を人問はば 西日に匂う 雪隠の窓 境俊彦

まだ、色々と雪隠の紹介すれば、きりがないが、漱石先生の俳句もある。

雪隠の窓から見るや秋の山 漱石

ところで、雪隠の窓から外の景色を見たり物思いにふけっていると、思いがけないアイデア等が思いつくことが多いが、どうも大したアイデアではなく、屁のようなことが多いようで、江戸川柳では

雪隠で出る ふんべつは 屁の如し

と、歌われている。

ふんべつのない屁といえば、親の死に際で息子が屁を垂らすようなものだ。

吾が親の 死ぬるときにも 屁をこきて

にがにがしくも おかしかりけり(犬筑波集)なんて、飛んでもない親不孝の歌もある。

このふんべつは、分別でしょうけど、糞別とも書ける。

糞別ともなれば、力んでも糞が出なくて、屁だけが出て、糞詰まりの俳句となってしまう。

 

そう言えば、糞切れが悪いからと、でるまでの時間をもてあまし、トイレの壁に落書きをする分別の無い輩も昔は居た。

トイレの落書きと、いえば、エッチな絵が定番ですが、こんなこともあった。

中学のクラスの悪仲間達と、一緒にトイレの中に、興奮するようなエッチなグラビア写真を置いておく。

しばらくして、誰かが、トイレに入り、トイレから出てくる友人の様子を見て楽しむ」と、いう落書の一種である。

友人がトイレから心妙な顔をして、出てくるのを見計らって、〇〇君、随分長かったじゃないかね!

こんな悪戯が、先生に見つかって偉く叱られたのは、当然である。

親が呼び出されて、どうも内の息子は、糞別がなくて!

と、親もこんな分別のない息子には、手をやいていたに違いない。

雪隠は、多くは、母屋とは別にあったわけで、渡り板の下に壺を置いただけとか、庭に穴を開けただけというのもあった。

場合によっては、尿便を外でしていたことも多かったようである。

 

小林一茶

初雪に 一の宝の 尿瓶かな と句にしている。

なにしろ、64歳で結婚したけれど、足も動かず手もままならない不自由な身でトイレに行くのも難儀でしたしょう。

こんなときには、外に出なくても家の中にある尿便こそ宝だという一茶の心境は、想像できる。

ところで、一茶は、何事も森女という妻に任せで、女中替わりに結婚したようなものだったようで、

これからは,丸儲けぞよ 爺遊び 一茶

の俳句もあるようで、老いても、あちらの方は、元気そのもの

森女のバギナは、水仙の香がすると、何かの書物に残していおり、まさに一茶は、不良老人である。

華麗なる花、水仙をそのように見ていた一茶ではあるが、漱石は、一茶とは、次元の違う真面目な世界の人で、写生の趣味や漢詩にも造詣が深かったようで、水仙を写生し、漢詩までつくっている。

独座聴啼鳥 関門謝世嘩

南窓無一事 閑写水仙

小林一茶は、現代でいえば、堀口大学とか、堀井春一郎というところだから、真面目な漱石の世界とは次元が違い、どちらかと言えば、ダンプテの世界である。

一茶に近いといえば、堀井春一郎

女陰の中に 男ほろびて入りにけり 

堀井春一郎

なんて、俳句にしているが、詩人でもある教師の堀井春一郎は、芸者との愛に溺れて身を滅ぼす、まさに春一番の女に溺れた問題教師である。

夏蜜柑 落ちて凸凹の地で 女狂ひ 

堀井春一郎

ところで、一茶は、糞尿や女狂いの俳句は、よく知られているが、驚くなかれ、漱石と同様に漢詩もつくられている。

木凋葉落更回春 長緑生花旧約新

森也心恩如若忘却 無量憶却畜生身

日本語に訳せば、

木が枯れ、葉が落ちても

春には緑が芽吹き花が咲く

おれも森女と出会って若返った

この恩を忘れたら未来永劫

おれは畜生である

やはり、漢詩であっても一茶らしい、女狂いの性がでている。

一茶は、森女に何の恩を返すまでもなく、森女が子供を宿していることさえ知らず、65歳で亡くなっている。

 

話を雪隠に戻すが、夏に雪隠に入ると 蚊の唸り声が聞こえる。

丸出しの尻に蚊が留まって、チクリと血を取られ、こんなことから、蚊取り線香をともすこともあったりする、

雪隠に 信玄おわす 蚊やりかな 黒柳召波

天下をとるまでは、大切な体、家来が気を使って、信玄のお尻あたりに蚊やりを用意したであろう。

それに敵がいつ襲って来るか分からないからトイレ番が、見張りをしていたりする。

信玄殿は、便所から出てくるときは、家来に

サンキュウ べんじょ マッチ 

とは、言わなかったであろうが、これは、阿保の坂田のギャグである。

ところで、歌詠みの歌枕の旅では、野糞も多かったと思われますから、連れが「ちょっと用をたしてきます」と、野の中に雲隠れ、

声はすれども姿は見せぬ ほんにあんたは屁のような 

と、歌にすれば、ハンプテイからは、これって、

声は、すれども姿は、見せぬ ほんに深野のキリギリス

と、いう古歌のパクリですわと、直ぐダンプテイのパクリが暴かれてしまうから、文学女房を持つ旦那は、情けない。

そこで、また、小林一茶の俳句を持ち出す。

小便の 身震い笑へ キリギリス 一茶

尿をすると体内の熱が奪われるから、身震いすることがあるが、こんな生身の生活ぶりが一茶の俳句には、にじみ出ており、共感する。

ところで、男の場合は、尿切れが悪くなると、身震いして、尿を払うことも多いが、小学校のときに尊敬していた、国語教師が、遠足にいったときに、木の陰で隠れて尿を垂らした後に身震いしてたのを見たときは、がっかりした。

誰も見ていないと、思って、木の陰に隠れてシッコを垂らしたりしたにちがいないけど、ちゃんと、誰かが覗いてる。

秋深き 先生の尿 長き人

翌日,「先生、昨日、身震いしてましたね これ、皆んなには、内緒にしときます」と、テストの終わった後に恩を売っておくという悪餓鬼少年であった。

こんな話を聞いて、何たる策略の多い坊だったことと、娘は、ダンプテイを非難するが、民謡には、こんな野糞もありますよ、と、教示してやった。

大阪天満の真ん中で 唐笠枕でしてやった

こりゃこりゃ こんな臭いものしたことない 塵紙 三帖 これまた捨てた 流行仙台節

それにしても 尻ふきに塵紙三帖も使ったとは、紙が貴重だった時代に、なんということ

僕なんか、家が借金まみれの褌生活だったから、親からは、「これからは、厳しい世の中、うんは手で掴め お前には、高校までしか援助しないからな」なんて、いわれていましたけど、貧富の差は、どうやら神の使用量の差に比例する時代であったようだ。

なにしろ、我が家は、

借金も いまは包むに 包まれぬ

やぶれかぶれの 褌の暮れ 朱楽菅江

と、わが祖のことを娘に教示するや娘のチイ、「借金は褌で、糞は手で掴めということかしら」と、わけの分からぬ質問をする。

そこで、ダンプテイ、「いやいや、自分の運は、自分の手で掴め、親の褌で相撲をとるなと、いうことですよ!」と、説教の給うたのであります。

ダンプテイが育った時代は、女には、早く嫁に行き、自分の運命は、夫に従えという時代でしたから、姉は、ダンプテイより余程、優秀だったようだが、女だからと、大学にもいかしてもらえず、20歳そこらで見合いさせられ嫁にいった。

こんな話をしたら、娘が質問する。

「ジャ、女は、どうやって自分で運をつかんだらいいのかしら、ああ、神様仏様と、ただただ、仏頼りや神頼りだったのかしら?」

そんな質問するなよ、ダンプテイは、「女が糞する現場を見たことありませんから」と、答えてやった。

しかし、尿の方は、

京女 立って垂れるが 少しきず 川柳

と、昔は、女も立小便だったらしく、紙は貴重品だから、おそそも少しは、垂れていたらしい。

戦時中には、小説でも野糞、小便のことは、多く取り上げられている。

女の立小便は、太宰治の斜陽の中の冒頭に出てきて、読者を驚かせている。

「月の綺麗な夜、娘のかず子にと庭を散歩していたお母さまは、萩の茂みの奥へ入っていって、娘に、「数子や、お母さまが今何をなさっているか、当ててみてごらんというーー」花でも折っているかとおもえば、何と、オシッコよ、それも立ったままである。」と、女の子の小便は、林芙美子にも多く出てくる。

風鈴と魚の町という回想記に、両親の行商について町を歩く、私は、小便をしたくなる。

母親が「かまうことなか、そこにせいよ」と、いうので桟橋で用をなす。

学研の日本文学アルバムの林芙美子には、尾道の桟橋の写真に、文子、この辺りで小便をしたあたり、と書いてあったそうである(川本三郎、本のちょっとの話)

さらに、林芙美子の河沙魚という短編小説には、

夫が戦地に入っている間に、夫の親との間に子供が出来てしまい、夫が戦地から戻ってくる。

追いつめられた嫁の千穂子は、自殺しようと、夏の江戸川あたりを歩く、その時急に小便がしたくなり、川の草むらで、用を足す、良い気持ちであった」と、最後を締めている。

どんな悩みがあっても、糞尿を垂らすときには、その悩みも忘れるものらしく、これは男であっても女であっても共通していることぐらいは分かる。

 

男もすなる立小便なるもの女もすなりーー

とは、色々な書き物でよく分かるが、土佐日記にも出てきそうな文体である。

ところで、小便垂らすのは、何人も共感を覚えるらしく、文明の先進国のローマでさえ、小便小僧が街のいたるところで、観光名所となって、カメラの被写体になっているいて、わが国のように、女のお粗相文学を中心とした糞垂れとは文化が違う。

すると、チイ、「小便小僧ならぬ、小便娘がおそそを垂らしてるって、ダンプテイは厭らしいことおっしゃる」と、非難轟轟

日本文学では、俳句や連歌、和歌等を通じ、尿垂れも美しい文体で表現していますから、馬鹿にしてはいけません。例えば、犬筑波集の連歌

水鳥の 尾の氷今朝解けて(犬筑波集)

に対しての付けは

尻毛を伝う 雫とくとく

マー野暮天という表現かもしれませんが、笑いを誘そってくる。

そこで、チイ、あら、隣の旦那が庭で、小便をたれていれば、それを解魔みた芭蕉

秋深き 隣は何を する人ぞ 芭蕉

なんて、俳句を作るのが、日本文化ですから

と、とんだ芭蕉俳句の新解釈

ところで、隣通しでは、内緒ごとも知られてしまうから垣根をつくるかどうかとか、どちらの境界側に垣根を作るか、費用負担は、どうするかは揉め事となる

仲が良いお隣さんどうしでは、簡単な透かし見できる植木だとか格子垣根だけど、仲が悪いお隣さんでは、コンクリで頑丈な垣根となるわけです、境界の壁を見れば、仲の良しあしがわかるというもの

仲が悪いと、「我が家の垣根だから、小便なんぞ垂らさないで」と、これこそたにん所有物汚染罪とか所有権侵害というやつを持ち出す輩がいるから始末におけない。

しかし、どっこい、最近は、「地震で塀が倒れ怪我でもしたら、その保証はどうしてくれる」と言ことにもなる。

ときには、庭で小便を垂れれば、猥褻物陳列罪、入浴を覗き見る覗き見罪とか、にも発展するが、対抗手段は、偵察カメラが観察されておるからご用心である。

それに、お隣同士で揉めるのは、向こう三軒両隣、風が吹けば、食事はもちろん、屁の匂いや糞のが垂れこめてくるから困ったものである。

「今日は、お隣さん、松茸入りのすき焼きを食べてる、我が家では、どうして食べれないの」なんて、亭主の稼ぎが少ない家では亭主の肩身も狭くなる。

松茸なら、我慢できるが、その匂いがダンプテイの気らいな納豆や奈良漬だxちたりしたら、堪らない。

プンプンプンとオナラし

臭くって、汚くって、ならずも

隣でブンブンブン奈良の漬

それこそ、

七重八重 奈良の都の花

けふ九重に匂いぬるか

と、チイの洒落た和歌のとりあwせが入るから面白い。

まあこの和歌も、百人一種の

いにしへの 奈良の都の 八重桜

けふ九重に にほひぬるかな伊勢大輔

のパクリだけど、許されよう。なんて申せば、チイ

「ダンプティのオナラは、奈良の漬物の匂い、オナラの臭いで、七重、八重、更に九重にも臭ってきて息も絶え絶えと言う感じ」と、駄洒落も飛び出す。

我が家の中でさえ、便器が汚れて、我が家のトイレ姫に、「誰れ、粗相したのは」、と、怒られるくらいだから、お隣さんとの間では、糞喧嘩は絶えないわけで、これもトイレ姫だったら、「ほんの御粗相で、済みません」の駄洒落で、誤魔化すのが手だけど、隣では、そんな手もつかえないから厄介である。

他人に尿を掛けたというお話があるので、紹介するが、その主人公は、あの童話で愛されている鈴木三重吉さんだから驚き

鈴木三重吉の逸話に「芸者と小便」というのがあって、こんな話である。

三重吉は、千葉の待合に泊まって、酒を飲んでいたが昼ごろ起きだして、二階の窓からジャジャと小便を垂らした。

運悪く、窓の下に兵隊が休んでいて、それが軍曹の服にかかり、激怒した軍曹は、沓のまま二階に上がり込み「今、小便をした奴は、どいつだ」と、怒鳴った。

すると、三重吉の相手をしていた芸者が、済ました顔で、私が今、盃洗いの水を捨てましたが、貴方様の御召し物にかかりましたか、どうか御免くださいまし、小便で御座いましたら臭い筈でございます」と、言って軍曹の肩に口を当てて、濡れてれているところを吸い取った。

それで、軍曹は、黙って引き上げたという。

小宮豊隆は、まことに三重吉は、結局、自分は、こんなに芸者に好かれていると言う自慢話の嘘を付くのが旨いと、語っている(文人暴食 嵐山光三郎)。

 

 

 

題:「そそ」のお話し

尿を漏らすことは、大変な始末者で、粗相(粗相)しちゃったとか、ちびってしまったとか、言い訳もできないが、これを見た親は、本人の恥を軽減してやろうと御までつけて、「まーこの子ったらおそそ」したのね」、と、丁寧語にしちゃう処が親心

さて、本題の「そそ」のお話に

お茶を注ぐとは、そそ(楚楚)とした娘が「粗茶は如何」と、お茶を注ぐことでもあるから、お茶をこぼしてしまえば、そそっかしい女と罵しられ、女は、「そそくさ」と、逃げ出ていく。

こんな女も方向勤めを経験すれば、お茶を注ぎながら色目を使ってうぶ(初心)な男をその気にさせ、そそらかす。

男の方もその気になって、あちらの物がそそり立って、ついつい粗相をしてしまい、とんだ娘に手を出して、汚してしまった、あちらのほうもそそけだってそそくさと逃亡するわけ、

「誰だ、家の娘を汚したヤツは、損害賠償をしてもらいます」と、娘を嫁にもらう責任をとらされかねない。

こんな「そそ」のくだらない話にハンプテイ

何にその長い話の結末は、「ハンプテイは、ダンプテイが粗相した責任をとらされて嫁になった」ということじゃございませんか!と、怒り出す。

すみません、ダンプテイも杉田玄白さんのように、杉田お話をしてしまい失礼いたしました。

これも、おしっこ散らかしの倅のせいでございまして、お許しください。

すると、ハンプテイ、天下の生態学の玄白さんの名前を出せば許されると思っての魂胆ですか、と怒りが収まるはずがない。

:いえいえ、そんな言い訳ではございません。

杉田玄白は、85歳までいきているが、自ら医者でありながら、糞尿には、苦労したようで、「大便のたびに老人性便秘で脱肛し、色々と手当しても、小便のときは、陰器縮まりて、自由ならず竹の筒などをあてがって用をなす」と、立川昭二 「江戸人の生と死」と、いう書に書いてありました。と、訳の分からない弁解

チョット、解説を加えれば、竹筒が必要としたのは、杉田玄白は、玄白茄子のような立派な一物ではなく、チッコイ陰茎で、それも酷い包茎であったと、思われますが、こんな話は、おそらく林先生もご存知ない発耳学認定に間違いない。

それにしても、医者の不養生といって、自分自身の一物の手術には躊躇されたのか、酷い包茎にも手つかずのまま老齢を迎えて、玄白先生、苦労されている。

源内先生が恩師として崇める玄白先生が放屁したら、平賀源内は、恩師の屁を慰める川柳がある。

屁なりとて あだなるものと思うなよ ブッという字は 仏なりけり

これぞ、源内先生、これ非常の人 超世の傑というべしと曹操なみの人だったわけである。

ところで、おならが仏と思えるのが大腸癌の手術後のおなら、ライオン宰相と、いわれていた、浜口首相が東京駅で右翼の荘園に鉄砲で腹を撃ち抜かれた手術をしたそうで、医者からは、おならがでないと、これは危険だといわれる。

幸いなことに、このライオン宰相、名前の如く、ガオーとライオンが唸るような相当の量のガスを放出するおならが出て,家族や医師等スタッフ全員でおなら万歳をしたそうである。

普段は、嫌われるおならもこの時ばかりは、感謝感激屁万歳であったとか

このときの担当医師の真鍋博士は

秋の夜や 天下に轟く 屁一つ

この手術立ち会った塩田博士は

芳香を 世にみなぎらせ 世に復帰

と、流石の天下のライオン宰相、オナラも芳香と蟻型がられるとは、御金の力はオナラににも及ぶ。

これが正月でもあれば、

手術あと これは目出度し 初屁の出

こんなお話にも興味深々のチイ

「大腸癌などの手術後もガスが、抜けずに大事に至ることも多いらしく、そのような危険を避けるためにも、人工肛門を選ぶ人も多いそうね」と、申される。

そこで、ダンプテイ、「人口肛門にすれば、オナラもおさらば」と、いうことですね!

おならが出そうなときは、弁を少し回せば、腸に溜まったオナラが、出てきてガス燃料ともなるわけで、経済的な燃料となる。

オトミー(人工肛門)の おなら優しき 師走かな  秋元不死男

ところで、ダンプテイ、昔、石油公団の依頼で、炭酸ガス分離膜の技術分析をしたことがあるが、こんな、分離膜をお尻にはめ込んでおけば、炭酸ガスやメタガスだけをオナラから分離することも可能になると期待できる。

炭酸ガスの放出が地球温暖化につながり、大変な問題になりつつあるが、京都議定書とかCOPなんとかという世界での枠組みが進展していたのを、トランプは一抜けたと議定書破りをしたから、この先地球はどうなることやらシンパイであるが、豚や馬牛等の屁やゲップのガスを利用して燃料にする研究が進んでいるらしい。

そのうち、人間のおならの燃料利用も考えなくてはいけない時代が来るかもしれない。

ところで、ライオンのように肉食動物のオナラの匂いは、とても臭いらしく、馬は草食だから屁は、大きい音を出すが臭くないらしい

だから、お金持ちは、臭い屁を、貧乏人は、大きな音の屁を垂れるが臭くない。

ライオン宰相さんのおならは、さぞ臭さかったでしょうね、

なぜなら、馬は、草食だから、「プスプス」と申し訳けなさそうに、臭くないオナラ

一方、豚は、雑穀食だから、ブーと鳴き声のように音を出して臭いおならがでる

牛は、「ギュウ」と、雑巾を絞ったような音を出して、臭いのが出る。

ライオン宰相おならの音は、まさか、ウオーではないでしょうけど、最悪の匂いだったようですね!

話は違うが、尿や糞の匂いで、どんな病気をしているか診断する研究も進んでいるらしい。それを応用して、便器で病気診断ができる商品も進んでいるとか

オシッコの匂いって、あまり真剣に匂いをかいたことがないけど、犬等の動物は、縄張りを明確にするためにオシッコを電柱や木に片足を挙げて臭い付けにオシッコを振りかける風習がありますね!

旭山動物園の虎の檻は、見物客との距離は非常に近くて、時折、見物客にオシッコを振りかけるらしく、気にいった女の見物客がいると、虎視眈々と狙い打ちするわけですから、尿を振りかけられた見物人は、虎に好かれたということで、諦めるしかない。

オシッコならまだ良いほうで、ゴリラの場合には、自分の糞をイチロウの如く見物客めがけて投げつけるというから、注意しなくては、いけない。

「ところで、芭蕉も屁に関して、感心をもっていたようで、

ピーと啼く 尻音悲し 夜の鹿 芭蕉

の俳句を残していますね!」と、芭蕉談義をダンプテイが始めると、

待っていましたとチイ

蚤虱 馬の尿する 枕もと 芭蕉

これは奥の細道で尿前の関というところの地名に肖っての句らしいが、こんな生活では、蚤,虱も友達という雰囲気ですね!

こゝもはや 馴れて幾日ぞ 蚤虱 惟然

芭蕉弟子の惟然も同様な風来坊で、蚤虱を友にして旅をしています。

小便に起きては月を見ざりけり 其角

山路来てなにやらゆかしアポ(糞)したい 仙厓

チイも糞のことについては、どこで勉強されたのか、随分とお詳しい。

それでは、チイのお勉強のために、ダンプテイの幼い頃の馬車の話をご披露いたしましょう。

まだ馬車を使った運送業者が近所にあって、その荷台に乗せてもらい岐阜の街まで遠出することもあった。

時々、馬車が止まったと思ったら、馬のケツから糞が噴出してくる。

乗せて頂いているお礼としてその馬糞をスコップで、披露お手伝いをさせられるのである。

木曽のなー木曽の炭馬並び糞(ま)ふ金子兜太

この俳句は、忘れし昭和の世界ですね

ところで、「運が良ければ牛の糞も味噌になる」という諺を聞いたことある。と話すと、

ハンプテイ、糞垂れたものを食べものにするなんて、それこそ,糞も味噌、雪隠に饅頭というけど、美味しいものを独り占めにするには、雪隠で隠れて食べるのが手だというわけね!

と、どうやら経験がありそうなことを言う。

ところで、味噌でなく糞まで活用する糞転がしが黄金虫

コガネムシ金持ちだ 金蔵立ててーー

と、糞を食べて金蔵建てたと言うけど、江戸時代の大家も糞を集めて金蔵を建てた黄金虫お大臣も多かったようである。

糞垂れて 大家儲けて 昼寝かな

人糞も結構、農家の人にとっては肥料としていい商売になったらしい。

音も香も空にぬけてく 田植えの屁 小林一茶

なんて名句もあるけど、人糞を稲作に利用していたから屁の一発や二発は、屁もないこと

江戸の人糞処理は、葛西方面から舟でやってくるが、この舟は、吉原などに向かうため

葛西船 掘りへつけるも こいの道

と江、戸中の堀川は,恋の道でもあり肥の道でもあったとか!

このように、大家にとっては、糞尿は、虎の子で、貴重品だったようである。

ハンプテイが、ここで質問あり、と質問を

虎子といったら、便器のこと知ってる?

生活に無くてはならないから虎の子というのかな!とダンプテイが答えたら

ハンプテイ、いえいえ、麒麟は、動物界の頂点に君臨していて、糞尿をするときには、虎を仰向けに寝させ、口を開けさせて、そこに麒麟は尿を垂れたということから、虎子は便器を意味し、現代語でいえば、オマルのことで、昔のオマルの形は、虎の形だったとされますね!

枕の形も虎が多いそうだけど、これは、

虎の威を借る狐

と、いう諺があるように、虎は夢に現れると、魔を退治してくれるお呪いになると信じられていたわけです」と、お詳しい。

そrに、何しろ男の一物は麻呂というから、尊敬語の御をつけて尿を溜めるところが「おまる」になったという説もある。と、ダンプテイも負けて葉折れない。

ところで、この虎の子の糞尿は、貸し家賃よりも儲かるってことはないけど、人の糞で、吉原通いも出来るなんて長閑なこと!

大糞垂れのダンプティ親父も,まだまだ踏ん張れますね!

踏ん張れば 糞もでるかな 糞親父

すると、ハンプテイ、ダンプテイの恋の道は、古希ともなれば、もう踏ん張れませんけど糞は死ぬまで踏ん張らなくちゃなりませんね!

踏ん張れば くそ(糞)もでるかな 糞蔓

なんて、糞のような話が飛び出す。

それにしても青天井の自然の中で糞を垂れることの気持ち良さ!

排便の快楽は、これまた陶酔

ムックリと肛門筋が開く

柔らかくもなく硬くもない粘弾物

ムッチリと暗黒の中からお目覚めだ

このまま尻をうわむけながら

すっかりと出尽くすまでの踏ん張りが必要だ

肛門筋を緩めれば自然とうんち様は流れていく

よく練れたあじわい深いうんち様のご登場

体温で温められたぬくもりを抱いて誇らしげに

湯気を放つように艶やかに光輝いて

音もなく、静かに静かに便器の底まで垂れていく

肛門を閉めれば、うんちも先細りとなって

その落下物は渦を巻いて高くそびえている。

ダンプテイは糞を垂れて:気持ちかもしれないけど、その匂いをハンプテイが嗅がせられる身にもなってほしいわ!

「鴉が鳴かない日はないけど、ダンプテイがおならをしない日はないわね」、とハンプテイ

お前こそ、結婚したら、急に平気で屁をぶちかすようになったではないか、これが結婚して新しい発見の一つでありましたが、嫁の屁という面白い笑い話がありますね

新婚夫婦の旦那が仲人さんへの挨拶手紙に、

「けっかうなる妹ありがとさん」と、結構なる妹ありがとうのつもりだったけど、「ケツが唸る妹ありがとう」と屁こき嫁にされてしまったという話

明治に入る前は、静と濁は、区別しないで使われていましたからこういう誤解が生じるわけである。

ところで、屁は、堪えるのが苦しい場面があるけど、オトイレに行けば、なんとかなる

しかし、糞が出ないときの苦しさ,こんなときには、通じ薬があるから助かるるけど、高速道路の糞つまり状態のときの糞だしは、大変ですね

腹痛し 高速道路 糞つまる

こんなときは、じたばたしてもストレスが溜まるだけ、

通じ難いは 辛いけど 仕方がないんだ 糞のたーめ 車で星影のワルツを歌おー

と、こんな鼻歌でも歌って、のんびり構えるのが骨である。

:昔は、山での芝刈りや山菜とりに出かけて小便したくなれば、そこらの木下で、「山の神様ちょっと御免」を三回唱えて、ちょっと悪いなと思いながら小便を垂らすのが普通だった。

「なにしろ、大和の国の国作りの神様、大物主も厠を使って人作りをされましたから」と申せば、

チイ、大物主だなんて、あれが立派なのかしら?

と突飛のない質問

ダンプテイも回答に「困りしどろもどろ

すると、ハンプテイが助け船

そのことは、古事記には書いていませんが、蛇のようなものだったそうですよ

三輪山大物主大神が厠の入っていた美女に惚れこみ、川屋の川を下って、丹塗矢で美女のホトを突いたところ、美女は、身籠って姫を産んだ、なんと、この姫が初代天皇の神武の大后となられたとか

三輪山といえば、能に出てくる三輪伝説、姿形が無類の男がいて、河内の美女と夜ごと共にし、美女は、腹ごもる。

親は、夫の正体を知りたいと衣に糸をつけて、後をつけると、三輪山の神の社で、大物主であったとかーーなんとか、昔、本を「読んだことですが、何とか答えられて胸を撫でたところ、

流石に文学部専攻のお方は、お詳しい。

それではダンプテイも少し付け加えると、夜這いする男の衣に糸を付けてたどっていったら蛇であったという神話もありますから、大物主の子作りの丹塗矢の正体は、その名の如く蛇の頭をした男根であったそうで

題:野糞

腸内で揺れ動く固体の揺らめき

生暖かい肉体の遺物が静かなる暗闇の中

暗闇から動めいて抜け出てくる怪物

ずっこりと全部で出尽くしてしまう解放感!

我が分身が自然に帰っていく心地する

子供が家を出ていって、みんな独り立ちしたときのように、糞が出たときは、川端康成が書いている伊豆の踊子のトンネルを抜き出たような解放感!

でも、こんな糞垂れの姿は、誰にも見られたくない恥ずかしい!と申せば、

チイ、すかさず、でも、出たはずの糞が裾の下で糞切れが悪くブラブラしているのも嫌ですわ!

ふんきれず 金魚ゆらゆら 裾たらし

ダンプテイ、このチイ娘の俳句を聞いて

いくつになっても親父が踏ん張って仕事をさせられ、子供に脛を齧られているような雰囲気!

とこんな漫画を描いてしまうから、糞垂れと言われるのも当然である。

なに、この糞垂れダンプテイ親父の解放感の姿!

自慢の糞は犬も食わぬ

と、言いますぞ!とチイ

ハンプテイも。娘の「応援に回って、そうよ、こんな姿を、他人に覗かれると思うと、心ハラハラ、夢の糞舞台ですわ!

夢と聞くと、小倉佳が作詞で、梅沢登美男が歌っていた、夢芝居を想いだす。

男と女あやつりつられ 対の揚羽は 誘い誘われ、心はらはら舞う夢芝居

糞ったれ親父が糞を垂れている夢でなく、いつまでも若くて、こんな恋のある夢芝居をダンプテイは見てみたいものである。

そう言えば、夕べは、けったいな夢を見て驚きました。

夕べ見た夢とってもケッタイ

とっておきの女が三人

より取り見取りで誰れでもいい

マリリン、エリザベス、野村さち

だれにしょうか迷っいていると

あんた何時だと思っているの

この木瓜茄親父と起こされて

嗚呼無常の妻の声

またまた夢を見たいとねんねした

ところで、この夢見る夢男さん

こんな夢芝居ばかり見ておれない。

我が人生も残りわずかだ、そろそろ決断の時が迫っている。

先読めぬ 世を無事生きて 花薊 中村敬

ダンプテイの俳句友達、中村さんの俳句を聞いて、ハンプテイ、仕事に遊びに随分と良い目を見てきたじゃございませんか、花薊のように他人に欺むかれることもなく、無事、五体満足で生きてこられたことだけでも満足すべきですわ、と生意気なことを申すではないか!

どんな満足なんだっけ、と思案してみる。

そういえば、一姫二太郎と糞娘と糞息子もなんとか、世に出たし、定年というものを実感しないで、この75の歳まで自分の好きなことを便乱暴に続けられているし、マー満足といえるのか、不満足でもないし!

糞の分別 あるではないが

糞の息子に 解き放たれて

定年離婚も 切り抜けて

好きな旅行に でかけられ

病気もなくて 趣味三昧

五体満足 薔薇の園

便乱暴って、なんだったっけ?とチイの質問にハンプテイ

家族のことを無視して、やりたい放題のダンプテイのような男を便乱棒っていうのよ!

鞍馬山 あんたはべらぼう 便乱坊

と俳句まで飛び出す

ところで、ハンプテイ様、鞍馬天狗の「ような便乱坊のようなことを御存じですね!とダンプテイが質問すれば、ハンプテイ

それでは、ベラボウをもっと解説させて頂きますわ!と得意になって話を続ける。

眼が赤く、頭が尖った猿のような顎をした便乱坊という人が芝居の出し物に出て、男色もどきを色々と披露したため、べらぼうなことをするというのよ、だから、このような人をべらぼうな人という。

それに、この箆棒に関しては、こんな話がありますね!

ある有名の仏僧があるとき、僧から仏とは、どんなもんでしょうかと問われて 、乾いた「糞かきべら」じゃと答えたとか!

だから、こんなこと言うお坊さんをべら棒なことをいう坊主と言って、これが訛って、ベランボウになったとか!

ところで、この偉いお坊さんが乾いた「糞かきべら」じゃ、と答えたのは、仏とは、そんな尊いお方ではなく、凡夫の心の中に仏が有るといいたかったのですよ!

マアーそんな箆棒な解釈あるのかしら!とチイに

ハンプテイ、何をおっしゃる娘さん!

べらぼうに 太る娘や 東山

チイも反撃の親子合戦

なによ、チイを東山千恵子みたいな東山にしてしまって、箆棒にでっかい腸詰めウインナーのダンプテイ親父よりもましというものよ

とダンプテイにとばっちり

そこで、ダンプテイの歌を一つ

巷の食材より集め

主の腹に詰め込んで

蠢き張りつめ丸くなり

主は、耐えかね丸寝して

見よ見よこの箆棒な 東山

ダンプテイの寝姿を覗き見て東山とあざ笑うとは,ナサケナヤ、ナンタルチアのサンタルチア

それこそ、お腹を抱えてオトイレに駆け込みますわ!

糞ばっかりの話で糞喰らえ!

すると、ハンプテイ

糞も馬鹿にはできませんわ!

猫が食べたコーヒーは皮だけが消化され実は糞となって排出され、ハラール食品として珍重される、ジャコウ猫のコーヒーとして特別に珍重されている。

それに、最近の子供向け雑誌でも、タブーとされた糞を取り上げて、大ヒットとなった「ウンコドリル」が大ヒットで、作者も億マン長者では,ございませんか!

それに比べて我が家主のダンプテイの創作作品は、それこそ、糞に味噌、どこからか掠めてきた屁ひり虫やらキリギリスばっかりで、何の役にもたたしない。

せめて義理でもいいから義理チョコをお願いしますよ!

これに反撃、ダンプテイ

ギリギリと 義理の音吐く キリギリス

褌忘れても義理チョコ忘れるなということですか!

ハンプテイの義理チョコへの返事は、

義理チョコの功徳は、念仏と同じくらいの功徳があるそうですから!

美濃の山中のハンプテイの詫び住まいは、一茶と同様、キリギリス、そんなあばら家に老婆が一人では、なお寂しい、せめてチョコレートくらいは差し入れて頂かないと

径は麦畑 中を折れて 

庭先に杏の花も咲いている

麦畑 道は中折れ 空に消え

ハンプテイ様、それは失礼をば致しました。

あばら家に棲んでいるとんまでのろまなダンプテイ、屁こき虫と同然となご老体、とんと、ハンプテイへの義理も書いておりました。

こんな老いぼれの身、とてもハンプテイとの同居など無理というもの

放屁して しまえばのろき 屁こき虫 加藤千世子

ところで、小林一茶もあばら家住まいということですか、屁こき虫の一茶もダンプテイにはかなわないと申されております。

俺よりも はるか上手ぞ 屁ひり虫 一茶

お前らは 何を笑うぞ 隠居の屁 一茶

こんな一茶の乞食隠居の姿を詩にしたのが、あのベルネール

げに我は 裏びれて

此処彼処 定めなく

飛び散りて 放屁(いばり=尿)かな

これって、ベルネールの有名な詩のパクリだと思うけど、尿でなく[落ち葉]だったはずと、詩にも長けていうチイの批評、

ダンプテイは、これに対して、オシッコを野で垂れたら濡れ落ち葉だから似たようなもの!

細かいことをのたもうなこの屁こき姫!

と、シイの才能に、降参の体で、もうヤケクソ

チイからは、「マー、屁濃き姫だって、屁ひり虫並みの侮辱語ではないですか、この可憐な早乙女花に失礼な」と、平凡パンチ

 

早乙女花だって、これ面白や、屁糞葛が早乙女花とはこれ如何 とダンプテイ

花あげて 屁糞葛は 悲しき名

チイが、答えて曰く

この屁糞葛の別名が早乙女花なのよ!

同じ屁こき糞も名前だけで随分印象が違います。

この違いは、チイのおと姫様とダンプテイの荒凡夫

ここで、チイ「から荒凡夫なる言葉が飛び出すとは、ダンプテイもびっくりですね!

俺よりも はるか上手ぞ 屁ひり虫  一茶

の一茶の俳句だって、荒凡夫の真骨頂

ハンプテイ:小林一茶だって、60歳になり荒凡夫になりたいと五欲兼備 煩悩具足の馬鹿げた平凡な人間としていきていきたいと願っていたけど、

古希近くなった老齢の自称屁ひき虫も

花には弱いということでしょうか?

花柄の スカートにつき 屁こき虫 植竹京子

ダンプテイ:屁ひき虫を卑下してはいけません。

40歳を過ぎ自らを屁ひき虫と称した一茶の生き方から生み出された俳句には,老いの軽みがあります。

馬の屁に 吹き飛ばされし 蛍かな 一茶

屁比べ また始まるぞ 冬籠 一茶

チイ:確かに、一茶は、屁の俳句が多く、屁のように軽く、屁を飛ばされ老いの「軽ろみ」というか、屁の「軽ろみ」ありますね!

小便、は外でするのが当たり前の時代

小便も 玉となりけり 芋畑 一茶

と、荒凡夫の何事にもこだわらぬ生きることそのものを句にした軽みの俳句ですね

ハンプテイ:あの角川書店や映画会社社長の角川春樹さんだって、一茶の軽みの俳句の影響を受けてか

小夜更けて 音する尿の 寒さかな 角川春樹

と、一茶並みの俳句を

この埴生の宿では、尿瓶に落ちる我が尿の音も細い音、それも切れ切れと垂れて聞こえるのは情けない限りと一茶は嘆いている。

秋の暮れ尿瓶 泉のこえをなす 石田破郷

この尿切れの悩みは、よく、理解できますね!

昔しジョジョ 歳を経たれば 今チョロリ

ですからどうしたらいいでしょうとかという悩み

チイ:そんなの齢のせいですよ!

ダンプテイ:世の中には、尿垂れの強度とーーいう研究をされているから主尻ですね!

そういえば、特許の仕事をしていたときに、遊びで面白特許集というのを集めた中に、

トイレの壁面圧力センサーを付着しておき、オシッコをすると、センサーで尿垂れ勢い度なる発明があって、アンタの若さは何歳だって出る発明があったけど、こんな特許を誰が買うかですね!

チイ:下駄飛ばしとかサクランボの種飛ばしなら遊びになるけど、オシッコ飛ばしじゃ、御老人の恥を晒すだけ!

糞尿の もう遠くまで 飛べぬ冬   えんけん

エンケンさん こんな写真を俳句に付けて、ダンプテイと、趣味がそっくりさん

ハンプテイ:それにしても飛び出してるのは、お腹だけ,それに、発想も、チンケですね!

ここは、発想をかえて、中央にオシッコが飛んでないと、もっと右とか左とか警告してくれる尿漏れ防止なんかがの特許あれば、トイレ汚れ防止に良いかもね!

チイ:どうせやるなら、オチンコにサックを嵌めて、自動的に、尿放出の方向を制御できるのはどうでしょう。

ダンプテイ:これぞ、主婦の知恵というもの、発明学会に提案してみたらどうでしょう。

おいぼれでは、陰茎も「萎びてサックすらはまらない。

ところで、角川春樹さんお父さんは、角川書店の創業者角川源義さん、そんな精力おあったお方も老年になれば、

青すすき 虹のごと崩れ 朝の魔羅 角川源義

チイ:いえいえ、これは、源義さんの辞世の俳句だそうで、死ぬ前の本音だそうです。

ハンプテイ;ここは、ロマンチックな話ですから、そんな老いぶれの尿垂れの話は止めて下さい。

ところで、主婦の知恵も馬鹿にはできませんよ

洗濯機のごみ取り袋の発明で億マン長者となった主婦がいるとかいないとか!

これに比較したらわが発明はチンコなものばかりで、糞味噌でございます。

これを歌にすれば、

手前味噌 嘘も方便 糞も味噌

これに続く付けは

 股間の汗も 乾く

チイ:いやだ、糞糞の匂いが垂れ込んできそう

墨染の 中のふぐりや 汗ばんで

程度だったら我慢できるけど、そのふぐりたるは、縮じこまって、貧弱な坊主なこと

話を聞いているがけで冷や汗がたらたらですわ

ダンプテイ:発明はチンコですが、肝心なチンコは特大のビッグドッグですから、心配しないでください!

ハンプテイ:嫌ですわ、特大ホットドッグのようにビッグだと、おチンコ自慢なんて!

ハンプテイ:吾が日本の大発明で自慢できるのはパチンコでチンコではございませんわ、西洋人には、チンコの大きさじゃ自慢できませんから!

我が家のチンコも錆びついた鎌のよう、「とっくに役立たず」ですわ!

チイ:錆びついたパチンコの玉というより、錆びついた鎌

錆びついた鎌

割れ残った蒼白の便器

蔦に絡まったトイレの扉

血のしたたりし痕跡

嗚呼尽き果てし汝の家宝

チイ:家宝なんて何もなくて、あるのはダンプテイの下方にあるちっぽけな珍宝くらいのくせに、俺は立派だと、嘘ばっかし!

嘘ばかり 富士も色気か 味噌も糞

ダンプテイ:私のこころをよくお汲み取り下された。

この嘘も話題を盛り上げる材料と思ってのこと、お許しあれ、鶯姫様

鶯や餅に 糞する縁の先 芭蕉

天下の芭蕉のこんな俳句もありますからこんな些細な嘘は、お許しを

それに、亀戸の天神様も

鷽替えや 嘘も方便 糞(くそ)も便

と、嘘を許容されているので、あしからず。

チイ:本当に嫌らしい、こうなったら酔っ払い親父を亀戸のお隣の錦糸町に放置しての置いてきぼり!

ダンプテイ:そんなことされたら、この御老体が夜冷えにして、肝心なオチンコがカチカチになって機能不全になってしまう!

娘は、父の恥部を世間から隠すべきなのに、どうして、親父の毛を吹いて傷を探しだし、大袈裟に誇張するのかね、嘆かわしい!

チイ:あれやこれ 何を申すぞ 胡蝶蘭

股倉を覗かれて、中身が知れることを恐れられているけど、何か欠陥があるのかしら!

ダンプテイ:欠陥があっても見ても見ぬふりをするのが家族の愛情というものではないですか!

哀れ秋風よ 心あれば、

見て見ぬふりをしておくれ

我が湖の島は小さかったと

題:黙って静かに

薔薇に棘があるように

蓮には泥があるように

優しき君には影がある

そんな影には無頓着

だからいっこう構わない

僕だって人に言えない影がある

眼を瞑るっていいことだ

知ってて知らないふりをする

チイにも言っておくけど、結婚前には、眼を見開いて彼氏のことを良く見極めることが大切だけど、結婚してからは、眼を閉じることも必要ですからね!

ダンプテイ:クサンティッペを悪妻とするエピソードには、ソクラテスに、激しくまくしたてた後に、小便(水)を頭から浴びせたが、ソクラテスは、平然として「雷の後は、雨がつきものだ」

とも語ったというが、これがソクラテスの弁(便)明

背泳ぎの顔を濡らさずソクラテス 山中正己

ハンプテイ:ソクラテスの便名もいいけど、お説教したいのは、このダンプテイ親父よ!

便器も汚すはパンツも汚すわで、始末が悪い。

おれのチンコが元気過ぎて、失礼しちゃったなんて弁明は聞きたくないわ!

ダンプテイ:男が便器を汚すのは、遺伝的構造的な問題が潜んでいるからですよ、この原因から論じないと!

古来、男は、犬のように足を上げることはないが、森の中では、大樹に向かって、小便を垂れてきたに違いない。

何時なんどき、敵に襲われても直ぐに逃げることができる体制を保たねばならない、

ハンプテイ:だからといって、トイレ汚しの言い訳には、ならなくってよ!

ダンプテイ:男のことをご存知ないですね

男は、立小便するにしても、肝心のペニスは、その状態は様々であり、寒くて、凍えそうなときには、縮こまり、場合によっては、皮冠りの男もいる。

そうかと思えば意に反して、勃起して曲げることも難しくなるほどく強直な場合もある。

こんな、男のことを知らないで、女どもが便器汚したと、がみがみと女が叫ぶのを世の男どもは辟易しているのですよ

オシッコタラタラ便器を汚し

ポケットジャラジャラ 金貨を揺らし

ボタンアチコチ掛け違い

妻の念押しダメダメよ

それでも親父またやった

福助お面で御免となって

御免ごめんよもうしない

とうとう妻はいきりたち

今度やったらあんたは御免

御免あそばせ、あそばせ御免

尽きた、尽きたよ、堪忍袋の緒が切れた

でも「本音は漏らしてしまったときは、なんて、情けないことをと反省しきりですから

汚れちまった悲しみは

今日も小雨がふりかかる

汚れちまった悲しみに

今日も風さえ吹きすぎる 中原中也

注:本文は今日も小雪が降りかかる

 

今晩は、冷え込んで、我がオチンコもちじみあがってきました。

早く家に帰って風呂で暖まりましょう。

それでは、今日はこれまで、また明日の

面白い話を期待しております。