ハンプティのブログ

ハンプティ・ダンプティのように、いつもずっこけぶりを発揮しています。

ダンプテイ親父の坊主は助平と語る 

秀吉等のように、家臣の妻であろうとなかろうと、これはと、思った女には、秀吉に差し出すように命令してしまうという時代があった。

「家臣の中には、自分の妻を見苦しくするため焼きこてを施した」と、いう話さえある。

なにしろ、この時代のセックスでよいとされるのは、

一盗、二婢、三妾、四妓、五妻と、他人の妻や家臣の妻が上位に、ランクされているのですから もうモラルもあったものではない、人権侵害、当たり前の時代

チイ:光源氏だって、似たようなものですけど、侵しては、いけない近親の女をも侵してしまう時代でしたわ、

例えば、継母であり、父桐壷の帝の妃と、交じわい、子供をつくってしまってる。

ダンプテイ:仏教界でも、女人禁止は、建前で、坊主が助平であるのは、周知のところ、坊主は助平が定評だけど、神主はどうで、あろうか

こんな連句が犬筑波集にある。

乗りつけぬ 馬に神主 のけぞりて

馬とは、神馬であろうか、いや違う、女ではなかろうか、

古来、紫式部の時代から与謝野晶子まで、乱れ髪は、恋を歌うための素材でしたけど、坊主や尼では、髪がなくて、文学を目指すものにとっては困ります。

禿げになったダンプテイ親父も、恋する資格喪失と、いうことでしょうか!

黒髪の 乱れもしらず うち伏せば

まず掻きやりし 人ぞ恋しき 和泉式部

掻きやりし その黒髪の すじごとに

打ち伏すほどは 面影ぞたつ 藤原定家

百人一首の堀川の歌にも

長からむ 心も知らず 黒髪の

乱れて今朝は ものをこそ思へ 

天照の岩戸隠れの物語の謡曲バージョンが一角仙人

「一角仙人が竜神と、争って勝ち、竜神を岩屋に閉じ込めたため、雨が降らない。

そこで、帝は、絶世の美女を派遣して酒を飲ませ舞わせた、仙人は、神通力を失い、竜神は自由の身に戻れた」と、いう天の岩戸のバージョンのようなストーリー

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能の「一角仙人」では、あまり下品な設定は、できないので、酒を飲まされて神通力を失うことに、なっていて、助平であるのは、酒のせいとしているが、現在は、酒のせいで、やってしまったては、許されませんが、この時代は、どうも寛容な世であった。

ところで、この一角仙人の歌舞伎バージョンが歌舞伎18番の「鳴神」、ここでは、雲絶間姫が登場し、「鳴神上人の手を自分の懐に引き入れて,乳房に触れさせる」と、いう設定で、童貞の鳴神和尚が「おろろ」の状態で、さらに手が下に伸びると、「あれあれ、雲絶間姫には、成り成りてなり余るところある」と、いう落ち。

この鳴神和尚の話の設定は、洗濯女の白い足をみて久米仙人の神通力を失った仙人と、同じであり、仙人も助平だから、わが国にあっては、男たるもの、全てが助平である。

とかく、坊主は、男には、強いが女に弱い。

さて、この久米仙人の逸話が芸者遊びに引き継がれているのが川遊びという芸者遊び

三味線の拍子に、合わせて裾をまくり上げて足を見せつつ川をまたぐ仕草で、川が浅くなったり深くなったりという、それだけですが、結構喜ばれているらしい。

とにかく、この仙人は、もう女の足をみただけで、ウロウロ状態で、頭の中はピンク色でありましょう。

臍の下に潜む鯰一匹 ビクとして

寝返りしたき 気分でありすわ 

しばし待て レクレイム(鎮魂歌)

鐘が鳴るます チンコンカン 

もう待てぬ 俺は今にも爆発だ

太郎は叫ぶ 爆発だ、

爆発あれば 山しずか 大山鳴動鼠一匹

さて、本題であるが、僧侶の世界は乱れており、内密に、戒めに隠れて、坊主も坊主めくりをなされていたと思われるが、一休和尚は坊主の身でありながら、心のままに、正直に生きようとしたのではないかと、思われます。

妾あり 余に随うこと 年久し 一休

美人の陰に 水仙花 香りあり 一休

連歌室町時代の文化、現在の川柳に通じる諧謔性とエrチック藁がある。

その例として

毛のあるなきは 探りてぞ知る 弟子もたぬ坊主は 髪を自剃して 犬筑波集 宗鑑

このバージョンは、

かきさしの 草紙尋づぬる 暗がりに

なんてものもありますね!

ところで、好き者の坊さん、「吉原へは坊主ではいけないので医者だ」と、言って、通ったとか、勿論、坊主の禿げは法被り

化けた医者 手の出し入れで現れる

と、川柳があるが、ついつい、数珠をもみもみする手で正体がばれたとか

人の情けや あなにあるらん

女文(ふみ) かしこかしこと、書き捨てて

という和歌もある。

あなは「あなかしこ」と、女文の最後に書く、「謹んで申し上げます」と勿論女の穴との掛詞である。

名にめでて 折れるばかりぞ 女郎花

我れ落ちにきと 人に語るな 僧正遍照

名前が愛らしいから、つい手をかけてしまったが、坊主も色に溺れてしまったとは、恥ずかしいから人には,語たってくれるな」と、僧正遍照は、正直な坊主でもある。

ところで、一休さんには、こんな歌があります。

苦なるかな 色愛はなはだ深きとき 忽ち忘却する文章と詩

年老いて若き女の愛に溺れ、お経の教えの文章も忘れたとは、これが、仏の道に使える者なのかと、疑われてしまう。

貴方は、日々の行いがよくないから來世は、恵まれないでしょうなどと、説教しつつ、一休自身は名利や色欲に溺れているのでは、その説教がどんな名言であっても有難みは、薄れるというものである。

こんな坊主の連句がある。

黄金作りを 産むや 若僧

「お寺の金ぴかの黄金道具を売ろう」と、する若僧坊主、「さながら禁じられている子を産むような邪道な振舞い」と、いう発句に、対しての付けは

帰り際 お尻をみれば 真黄色

「この若い坊主の帰るところの姿を見れば、お尻あたりに見えるのは、糞が付いて真黄色では、ござらんか」

と、でも解すればいいのでしょうか

つまりは、この若い坊主が、男色の交をしていた、という洒落であろう。

ところで、坊主の身でありながら、「天皇の地位に就こうとした怪しからん坊主だ」と、後世の物語で、非難された坊様が道鏡

道鏡は、陰嚢がとても立派で、これぞ神だと、ぞっこんになったのが、孝謙上皇で、道鏡に法王の地位まで与えて寵愛したという話があります(日本霊異記)。

道鏡坊主の振舞いをあざ笑う歌がある。

道鏡が くるまで私し 太平洋

道鏡が くるまでごぼう 洗うよう

私とは、勿論、孝謙天皇の女帝である。

孝謙天応の膣が大きすぎて、満足できる性生活が出来ないところで、現れたのが、ビッグマラの道鏡

私し孝謙天皇の太平洋も治ったのよ、それまでは、男と寝るときは、ごぼうを洗っているような切ない思いをしてました ということである。

医者が、「どうして、手術もしていないのに治ったのか」と、訝ると、「だって、道鏡様のおかげよ、さすが天下の仏様のお導き」

 この頃は、孝謙上皇のこの世の花を謳歌した時

大友家持は、この上皇の世を褒めたたえている絵がある。

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秋の花 草草にあれど 色ごとに見し 明らむる今日の尊さ 

しかし、その裏を見れば、どうでしょう。

壇上には、女帝の一物も立派ですが、女帝が寵愛した坊主の道鏡の陰嚢の大きさが見事である。 (新色閨の鳥貝、作者不詳)。

これぞ、一物崇拝と言い、巨石を崇拝する習わしが、ここにもあるとは、たまげたものです。

こんな上皇も巨根の坊主にも満足できなくなり、とうとう、山芋を用意させ、ホトに入れて慰めていたとか、ある時、あまり大きな山芋を使用したため抜けなくなって、お手柔らかに柔らかにお願いいたしますと子手尼という手の小さき女に取り出すよう命じた。

その小手尼が手に油を塗りたくって、取り出ださんとすると、その行為があまりにも不尊なため、これを見ていた百川なる者がこれは霊狐なり」と、いって子手尼の手を切り落とししまったために上皇は命果ててしまった」と、いうお話てありました。

ところで、性の過ちといえば、坊主と稚児の他に、医者は、看護師との関係

亭主が出張中の金持ちの奥方は、庭師と決まっている。

医者は、職業がら、堂々と女性の乳房やら

あそこを手でさわったり、拝見するが出来るが、、医者も人間男であり、美人患者の胸に手を当てて魔羅立がおきるけど、職業柄我慢しなくてはならない、必要以上に手を出せば、このエロ医者め、と評判が立ち、廃業の危険がある。

そこで、治療中に我慢できなくなったマラ立を、手早く処理するには、身近に居る看護師に手を借りると、言うことになる。

さて、余談になるが、庭師との関係といえば、

旦那がお江戸勤めで留守をして寂しい生活、庭が立派だが、定期的な手入れは欠かせない。

男性禁断の館にも庭師であれば人目を避けずに出入りが許される

奥方、庭に手入れを依頼するが、その働きぶり、筋肉隆々で、旦那に比較して力強い、ついつい、庭の手入れが終われば

一寸、一休みしては如何と、誘い込み、汗を拭きつつあそこにまで手を出してしまい、私の庭もお手入れお願いね」と言うこととなる。

ところで、坊主は、女性禁入の僧院、マラが立ったら、それを満たすのは、身近な見習いの茶坊主のお尻と、言うことになる。

信徒から 恋の悩みを 聞かされて

読教進み まくる衣手

我れも昔は 男業平 

僧は、女禁制だから魔羅立が僧の最大の敵であることから、陰嚢を切り落とす習慣もあったとか

しかし、これをするには、余程の「覚悟が必要で、多くはそこまでの信仰心はない、

従って、坊主の魔羅

立が起これば、集団生活の修行の妨げになるわけである。

魔羅という言葉も坊主にとっての修業の妨げに「なる魔を由来とする。

そこで、このマラ立の問題を徹取り早く「解決方法と「して生まれたのが、稚児制度である。

将来の僧を教育するための稚児を引き取り教育として、送料の世話もさせるが、マラ立の処理も手伝わさせることとなった。

朝魔羅や小便までの命かな

肥後随喜七まき巻いて面を出し

更に高僧ともなると、接心といい、信者の悩みを解決してあげると、色々と悩みを「聞きだし、その悩み私が蚊一決して差し上げましょう。私の心を受け留めるよう、私に抱かれて心を清めれば、貴方の悩みは、収まりますと、接心して信者と、ことに及ぶということもありますが、この話は、後程、詳しく話しましょう。

 

ところで、ダンプテイが:石川県、福井県近辺に旅行を計画していたとき、昔の友人を思い出して連絡をとってみた、

なにしろ、その友人、民間の職場で、一緒に仕事していたが、福井の実家に帰って、住職の跡継ぎになると、早期退職制度を使って帰郷されたはずである。

すると、永平寺に1年間の厳しい修行をしていましてきたばかりで、少しリラックスしたいから

一緒にどこかに、行こうと、おっしゃる。

それでは、東尋坊を見学しながらの東尋坊温泉は、どうかときけば、いや、唐人棒はいったことがあるし、一寸足を伸ばして、和倉温泉か、言いとおっしゃる。

どこの温泉高わすれてしまったが、鯛や海老の回線料理が一杯でてくる。

修業した身であるから、大乗ですかと紀は野暮であるが、その食欲のあること、ビールも一杯頂いて生魚も久しぶりだと御満悦

なにしろ、厳しい修行ばかりで、憂さばらしの旅だからそうである。!

修行終え 墨の衣を着たれども

鯛や鰻を召し上がる

 

食事が終わると、生魚もいいけど、あれも見たいとおっしゃる。

何ですか、その生ものとは、

それが、どうやら俎板縁起というものらしいが、はっきり言えがば、ストリップ

これは、ナンタルチアサンタルチアのエロ坊主

学僧の おつむ青きや 日の光 

と、尊さが感じられない。

そこで、着いて行くことにしたが、それが半端なものではない、裸の男と女がなまめかしく、体をくねくね踊りながら一枚づつ、衣服を互いに剥がし初めて、ついに素っ裸、

男のほうは、女を舞台前面のまな板に寝かせて、自分の陰嚢を自慢そうに、観客に、曝け出し、それが見り見る間に、膨張していく。

そして、その陰茎を俎板の上の鯉に一刺しーー、

観客は、興奮の渦、「なにおか言わんストリップ」

どうやら、この坊さん、それが目当てで、この和倉温泉を希望したに違い無い。

興奮冷めやらず、その後は、フイリピンパブとか、フィリピン女性がこの坊主頭に首ったけ、カラオケも坊さんらしからぬ、「渚の恋の物語ーー」なんて、恋のデュエットばっかりでーー

墨染めの 渚の恋も 覚めやらで

恋歌ばかりの 坊主カラオケ

地元では、檀家の目もあり、こういう経験は、できないなんて、御満悦であった。

娘のチイは、こんな話を聞くと、坊さんに拝んでもらっても、全然有難味がないわ

親父死んでも 坊主にややらぬ 焼いて砕いて海に撒く

と、申される。

そういえば、吉田兼好も坊さんだけど、

「万(よろず)に、いみじくとも色好まざらん男は、いとそうぞうしく玉の杯の底なき心地ぞする」

とまで、おっしゃつているくらいですから、坊主が助平であっても何の不思議はない。

最近は、檀家離れが進んでいるが、これも、設備経費を檀家に持たせて、お布施料をガッポリと、頂く、坊主丸儲け、それに戒名もランクつけして、ぼっくりとお金を頂くシステム

なんでもお金次第で、

坊主の有難みが薄れている。

芸者の親切 雪駄の裏金

金のあるうちゃ チャラチャラと

金が無くなりゃ切れたがる サノサ

しかと、覚えていませんが、このサノサには続きがあって、

今の芸者はフェルトの草履

金がなくても 切れやせぬ

切って切れぬは 坊主の頭

千代に八千代に 末永く

共に白髪の生えるまで  サノサ

すると、妻のハンプテイ

江戸のサノサも洒落ていますわね!

坊主の光も金次第 地獄の沙汰も金次第

とどのつまりは金次第

そういえば、来年は東京オリンピック

坊主もそうだけど、日本中が「金金金」で騒いでいる

昔バブルで、今オリン

北朝鮮は、金金金

老齢社会も金金金

いつの間にやら、世の中は

コソコソ、ギスギス、金金金

心のカサカサ金縛り

効率、効率 利益、利益

競争、競争 また競争

急げ、急げ、急げ

仏心は、今どこに

日本のこんなご時世、ダンプテイも、いっそのこと、坊主になっちゃっやおかな、こんな風に!

 

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チイ:坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いた

と、いう早口言葉みたいですね!

それにしても、掛け軸の中の坊主と、ダンプテイが入れ替わっちゃって、ガッポガッポと、お金を壺の中に貯め込んだりして、チョキまでしちゃっている!

チイ:「頭剃るより心を剃る」と、いうでしょ、先ずは、ダンプティの心を清らかにしてほしいわ!

鴨長命がこんな歌を作っていますよ!

剃りたきは 心の中の乱れ髪 つむりの髪は とにもかくにも 鴨長命

ダンプテイは、頭を剃るか剃らないかの問題ではなく、乱れた心を綺麗にすることが大切ですね。

染めばやな 心の内を黒袖に 衣の色はとにもかくにも  小袖曽我

と、いう歌もあるから、まずは、心が大切ということかしら

ダンプテイ: 鴨長命のように、真面目に人生を考えた坊主もいるけど、坊主の中には、「出家」とは、名ばかりで、信徒の御供養を湯水のごとく使い、温泉豪遊、芸者遊びなど贅沢三昧に明け暮.都内の一等地に豪邸まで買い漁ってきたのが、日顕一族だそうで、スクープ映像まであります。

日蓮宗日顕とは、様々な裁判上の争いをし

この写真も偽造ではないか」との争いがあったとされましたね!

何れにしても、騙したのとか名誉棄損とか、お坊さんも裁判事件に関わるのですから、何を信じてよいやら、私しほんまに存ぜぬわ!

こんな小話もありますね!

鮭を盗んで隠し持っていた坊主の一物あたりがあまりにも大きいのを女がみつけて、「貴殿は、道鏡殿か」と、笑らったところ、坊主は、「いかなる坊主なりとも、腰に鮭=避け=性器は、持っているぞ」と、洒落ている。

坊主は助平というのが定番ですけど、神に仕える禰宜にも卑猥な話があります。

つひ(女性器)は、筑紫、マラ(男性器)は伊勢と、言われていますが、これに関して古今著聞集には、伊勢神宮禰宜が「妻に仕えている筑紫の女とやらせてくれ」と、頼むと

妻は、「お安い御用ですけど、筑紫のつひ(女性器)は良いというけど当てにはなりませぬ。

伊勢のマラは、立派と言いいいますが、貴殿のは貧弱だから、この諺は、あてになりませぬ」と申したそうである。

その他にも、浄土真宗中興の祖と、言われる蓮如は、生涯五度も結婚し、27人の子供をもうけ、何と、最後の子供は、84歳の時の子供だそうで、これらの子供が次々と全国の寺院に配しているから、この血は全国の寺院に引き継がれている。だから、全国津々浦々の坊さんは、蓮如の地を引いて精力王政だというのが、メンデルの法則?

少子化対策にぜひ、全国行脚で後期高齢者の子作りの御説教を蓮如の子孫の棒様にお願いしたいものです。

ところで、坊主を悪く言い過ぎて、反省いたしておりますが、もう少しだけ、お許しを

土佐の高知のはりまや橋で坊さん

簪買うを見た ヨサコイヨサコイ

と、高知のヨサコイ祭りで、娘のチイが

ヨサコイ ウサコイって、ナアーニと、申される。

「坊さんは助平だから、夜さ来い 夜さ来い じゃないかな」と、頓智の効いた答えをしてやると、それを詩にすれば、こんな感じかしら!

題 助平なお坊さん

色街坊さん 助平さ

太鼓打ちたし 太鼓なし

でっぷりお腹を ちょっと出して

打ては 飛び出す 色気の出汁

女も手拍子 調子に乗って

袈裟の中から 手を出し足出して

これは美味いな 味も良し

なんと、チイのソーラン節は、見事で詩も面白い。

ソーラン節は、北海道江差の漁師うた、これも、夜さ来いと同様に、エロチックである。

いまでは、サッポロの夏祭り、ヨサコソーランといって、ヨサコイ祭りと共に、賑やかである。

ヤーレン ソーラン ソーラン 
ソーラン ソーラン ソーラン (ハイ ハイ) 
今宵ひと夜は、どんすの枕 あすは出船の 波まくら チョイ ヤサエエンヤンサノ ドッコイショ 

助平坊主を俳句にすれば、

フツフツと 吹き出す邪心 袈裟の下

ところで、「よさこい節」には、坊さん簪を買ったという節があり、坊さんは、好色だということとなっている。

竹林寺の僧・純信と鋳掛屋お馬の悲恋物語は、その舞台となった「はりまや橋と、ともに有名となって、よさこい節に坊さんが櫛を買ったと歌われています。

すると、娘のチイ、だったら、ダンプチも助平坊主、長崎孔子廟の境内に並ぶ、お坊さんの中にも、こんな裸姿で、登場シナクッチャー

と、盗撮した写真を加工されているから厭らしい。ダンプティは、孔子の72賢人の一人になろうとの魂胆かもしらないけれど、もっと威厳ある神聖な態度で坐してほしいわ!

孔子が言っているわ、「人間70にして心の欲するに従えども距を超えず」と、いうけど、ダンプティは、心の欲するままだけど、とっくに距を超えているけど、仕方がないか、立川流真言宗のお坊様だから!

ダンプティの行いも恥ずべきですが、仏様もあにはからんや、である。

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注:長崎の孔子廟帝の孔子の高弟72賢人戯画

はちすは(蓮葉)の濁りに染まぬ心もて 何かは露を玉とあざむく僧正遍照

注:はちすとは、ハチの巣であるが、蜂の素が蓮の実によく似ていることからこのように言われている。

仏様は、蓮の上に坐しておられるはずですが、蓮花の池の中で乱色される熊蜂となっています。

「なんて坊主のくせにエッチな歌よみですね」とチイが感心されるが、連歌でもそのエッチぶりを発揮されていますね

ある女は色好みの僧正遍照との夜這いの約束をしていたがやってこない。

そこで、

人心 憂しみつ今は 頼むまじ

と、僧正遍照に伝えた。

そこで、遍照は、

夢に見ゆやと 寝ぞ過ぎにける

夢の中であなたに合った夢を見ているうちに気がついたらこの頃を過ぎてしまいました。と、約束を忘れる程だったわけで、遍照は坊主の癖に酷い言い訳までしていますね

チイ:この僧正遍照さん、

天風雲の通い路吹き閉じよ乙女の姿しばしとどめむ

と、乙女とずっと一緒に居たいから台風まで来ないかと神頼みしているエロなお坊さん

さらに、僧正遍照さん、小野小町との間でもこんな恋歌をやりとりしている。

岩の上に旅寝をすればいと寒し苔の衣を我に与えよ 小町

世をそむく 苔の衣は只一重 貸さねば疎しいざ二人寝ん 僧正遍照

苔の衣をお貸ししたいけど一枚しかございませんので一緒になって寝ましょうよ!

とおのの小町を誘っている。

エッチは、遍照だけじゃないですね、こんな坊さんもいらっしゃる。

南無阿弥陀の御名のいずる息 いれば蓮の実とぞなるべき  一遍上人

チイ:これ、仏の道とは、これ如何

善き人の後光も見えぬ裸身で 仏の道を欺けり

全く、そのようで、こんな歌も成立します。

有り難き昨日の仏夏日より蓮池潜り悪戯覚えし

 ところで、江戸時代になると、エロ作家の本が出回る様にない、川柳等や落語でもエリ話が、もてはやされるようになった。

江戸中で、坊主は、助平で、御金ももっていたから、お茶屋や女郎屋も坊主専用で、侍、町人お断りのような所謂「いろは茶屋」も出現したそうで、

武士は嫌 町人好かぬ いろは茶屋

坊主は、何かと毛嫌いされていますが、ついでに、この際、坊主の悪口を全部、暴露しちゃいましょう。

題:坊主の女郎通い

ある坊主、初めて女郎屋に入って

女郎の彼方此方を撫でまわし

びっくり仰天、大きな叫び声

不思議だ、この女郎、前は尼じゃが、

後ろは、弟子の男のようじゃ

坊主が橋の上から水に映る景色を見て一句

清き水 おのが頭を 照らしおる

すると脇に居た小坊主が

師匠が桶で足を洗うときの句のようですな

題:坊主の褌に潜む見聞記

黒松の林を抜けると 坊主に逢った。

坊主は、病み上がりのように

グニャグニャの体で、今にも死にそう

これはいかんと刺してやったら

坊主、いきなり、立ち上がり

少林寺拳法のように体を固めて

三倍以上に背が伸びてドドーンと揺すり始め

突然、口からは、へどろを発し

その匂いの臭いこと臭いこと

この坊主、再びぐにょぐにょになり、死んだ

「こんなに、坊さんのこと貶なしたら、葬儀の面倒をみてもらえなくなっえしまいますね」と申せばmチイ、清沢満之という坊さん自身が「世の中で、不信心の第一は、坊主、その次は、坊主に近い在家の人、坊主に縁の遠い人ほど厚信のようにみえる」と、自白されているけど、本当にそうなのかしら?

と質問する。

それでは、坊主助平の一例とやらを最後に

若衆好きの旦那のアナルセックスばかりに毎夜悩まされていた妻が嫌になり、世話に成っている坊様に悩みを打ち明ける。

これは、「檀家様からの願い事、現場を捕まえて法話でも説教いたしましょう」と、約束した。

その夜、ほろほろに、酔って帰った旦那、早速に、妻のアナルと、思しきに入れ込むところに、布団の中に隠れていた坊主が袈裟を開いて、お尻を差し出す。

旦那は、囁いて今晩は、良い、何とも良い、いつもより!

そして、手前に自分の手を回すと、気持ちがいいはずだ、俺のものが前まで突き抜けてやがる。

という、小話がありました。

マーなんという、ダンプテイ親父の与太話、

桃すすり 垂らす甘汁 与太ばなし

縞西瓜 甘汁垂れて 与太ばなし

ところで、坊さんのこと、随分、悪く言ってるけど、真摯に仏を信じて、社会の平和のためにという沢庵和尚のようなお方もいるのよ」と、チイが釘をさす。

ところで、少し話を少し変えて、ダンプテイが尊敬する発明家のカールソンのお話

チイ:カールソンって、ダンプテイとどんな関係なのかしら?

実は、ダンプテイ、複写機の会社に転職したのも、カールソンの縁、ある「小規模の印刷インク会社で、研究していた時、カールソンの伝記を見た、感動し、これが自分の進む道と、決断して、ゼロックスに転社した。

カールソンは、複写技術を発明し、それをビジネスとしてゼロックスを立ち上げた人、しかも、彼は、特許事務所に「勤めていた弁理士であった。

その「頃多くの事務所では、カールソンの発明した複写機が画期的ともてはやされつつあった時である。

自分は、印刷に関係している研究者であるが、これからは、複写機の「時代と直感し、特許の道と

複写の道をと決意したわけです。

本題をそれましたが、実は、カールソン仏教にも関心があり、嶋野栄道という禅師のお寺の建設に10億円の寄付をした」と、されています。

生きているときに弱きものを助ける寄進により自らが救われるとキリスト的精神の持ち主だったわけで、物質的な豊かさよりも精神的な豊かさを求めることを大切にし、見返りを期待しない無償の愛こそ神のお心と、寄付行為をされ,発明から生まれた果実を世のためにと仏教関係寄付等に還元しました。

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記念切手となったチェスターカールソン

この嶋野栄道というお方、HPで見ると、凄いお方なようで、見習いたい程ですね!とチイがおっしゃる。しかし人は、見かけによらぬ者、この嶋野禅師は、仏教は宇宙の真理、今だけしかない短い時間の間に何かをしなければと、女性ロビンとの間のスキャンダルを招く行為に及んだということが、ロビンウェステンの善と魅惑に書に書かれている。

まさに、日本霊異記に書かれているエロスの世界である、その一部を紹介する。

「時に未申の間、曇り雨降る 雨を避けて、堂に入ると、堂の裏 狭きが故に、坊主と女とが同じところに居る。

坊主、罪な心起こりて、女の背にうずくまりおり、裳を挙げて、セックスをする」。

この後の結末が凄い、「マラ(ペニス)がホトに入るに従い、手を携えて共に死す。只、女は口より泡を噛みだして死にき」

少し、注釈するとホトとは、ホが最も素晴らしい所を意味し、トが門であり、ワギナを意味するらしい。

ついでに、結婚することを「トツグ」と、いいますが、

「門を継ぐ」と、言う意味で、セックスするというのが原語だそうですよ!

それにしてもホト様をこんな淫らなる行為に及んだわけですからと仏法に反する行いをして因果応報の天罰が当たったという仏の教えたる仏教説話になっているわけです。

それにしても、この本を書いたのは景戒というお坊さんだそうだけど、これに似ても非なるが、この嶋野坊さんだそうである。

もうこんな坊主の話し、ホットケ仏ですわ!

とチイが申すが、その触りだけを

ニューヨークの善なる本から引用します。

私(ロビン)は「私の精神的進展について語る為に準備して嶋野禅師の場に臨みましたが、驚いたことに禅師は「女性は、接心直後が一番魅力的で、セックスに相応しい時期だ!」

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注:ニューヨークの善なる本の表紙の嶋野禅師嶋野禅師

もし私の自由になり、皆も解脱の真髄を理解するなら、接心最後の夜、セックスをし合うのだが」と言い、猥褻な行為にも及んだとーー

「マー、こんな仏様見たことないわ、それにしてもこんな仏様おような顔をしたお方が、シマノの自転車のペタルを漕いじゃうなんて、信じられないわ!」と、チイもビックな駄洒落が飛び出す。

ところで、接心修行とは、聞き慣れない言葉だが、信者個人が問題を抱えている時、通常の接心よりも深い霊言をもらう目的で行われる心を接し合う修行である。

信者が夫との関係等、実生活で抱える問題などを相談するケースが多く、信者と霊能者が個室で執り行われます。

このような、場で、性的な行為を誘うのは、とても如何わしいように思えるが、宗教とエロスをどのように一体として考えるかの問題と善意に解されている。

キリスト経でも告解という懺悔により、自分が犯した罪が許されるという、儀式があり、聖教者が、あなたの心の悪魔を貴方から追い出してあげましょう等と、いい、卑猥な慰め行為に至ったということが、ボッカチオのデカメロンにも書いてある。

信仰の対象としての神とのイニシエーションを重視するのは、麻原彰晃も同じで、教団の密世界の中で100人もの愛人が夜ごとに入れ替わり、尊師の部屋に呼ばれてイニシエーションが行われたとも言われていますけど?

注:男と女のエロスの関係と人間と仏(神)との関係は、精神的に、極めて密接な関係があるという宗教とエロス(シューバルト)の本に書かれている。信徒が祭司との性行為は、相手の祭司の呪力を自分のものに乗り移ることをものと信じるからで、性的本能と呪術龍の本能は、融合するとする。梅原猛の百人一語なる本によると真言密教、特に立川流の教えによると男女の愛には罪はない、むしろ、男女の性の交わりこそ、最も端的な即身成仏であるといっている(立川流の真髄は性交によって男女が真言宗の本尊大日如来と、一体になることである)。

このような考えか、仙人も大きな男根をあらわにして彫り物にされたり、曼荼羅に性行する絵柄が描かれ、利用されていたのである。

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古代中国の道教においても、良きセックスは、病気を治す医術であると信じられ、精液を漏らさないセックスは、体に力を漲らせ、八度行えば体が艶やかになり、9度行えば、長寿に、10度行えば、仙人のようになると語られ、信者に、このような考えを信じこませる教団もあったそうで(性と聖)ある。

注:接して漏らさずの思想は、中国の彭祖という人が編み出した房中術といわれ、人間の生命は,精からなつていて、精を漏らさなければ、生命は何時までも充実しているとし、49人の子供をもうけ、760迄生き延びたとされる。

タントラ(インドに古くから伝わる宗教の聖典の原理)では、新参者は、異性の熟達者との交合を通じて、神性を通じることが出来るという考えあるようです(性と聖)から、このような流れかもしれない。

注:左は、張果老(張果)は通玄仙人とも呼ばれる代表的な仙術者で、いわゆる「瓢箪から駒」の仙人(大町市大黒町舞台 支輪部彫刻「張果老」立川富昌作)、右は、立川流曼荼羅で、大等陰陽根本、足利中期の写本

西洋文化でも、神話における巫女は、ゼウスの大神たちの達の男根を待ち望んでいたわけですし、婚約する女性は、愛の神々の嫉妬をかわないよう、神殿で要求する全ての男に身を任せるべきであるという風習が残されていた事実もあるようです。

この具体的な行為の事実関係は、分かりませんが、宗教という伝来の歴史には、このような風習なり慣習の精神が受け継がれていると推論しているにすぎません。

坊主が助平というのは、沙石集にもこんな話があるそうです。

ある陰陽師の奥方の家に忍び込で密かに通う朝日の阿闍梨という坊主がいた。

亭主の天文博士がいないからと、見られちゃおれないようなシーンを展開する。

流石、天文博士、我が家の方角の雲行きが怪しいとご帰還、朝日坊、あわてて西口から逃げていく。

「あやしくも西に朝日が出ずるかな

と、天文博士が問えば、

天然博士、如何に見るらん

と、朝日坊が答えた」と、いう話し

注:心に響く日本の古典 山口博より

チイは、「坊さんのイメージを悪くしては、なりません、清らかな心の御坊様もいらっしゃるから」と、坊さんに似ている禿げ旦那の手前か、坊さんの肩を持つ。

そうはチイは申されるけど、出家とその弟子みたいな詩も成立します。

題 仏の道

ほとけの道とは、どういうことでしょう(弟子)

裾をまくってお尻を出してごらん(師匠)

ほとけの道を案内してやるから(師匠)

窓からあちらの山の上を見上げてご覧(師匠)

ほら、ほとけの道が分かったでしょ(師匠)

これがほとけの道!随分と棘の道だね(弟子)

チイ:「出家とその弟子倉田百三)」は、親鸞が弟子との間で交わす宗教的なお話しで、親鸞は、「人生の寂しさは、酒と女では癒されぬような浅はかなものではないからな、強い人はその寂しさを抱きしめて生きていかねばならない、宗教生活とはそのような生活をいうのだ。

耽溺と信心とは、きわどい分かれ道にある。

しかし、私は許しているのだよ」と、このような淫らな仏の道も許している。

ダンプテイ:助平な久米仙人に関して漱石もこんな俳句で、ちゃかしていますね

真倒しに 久米仙降るや春の雲 漱石

チイ:久米仙人って、どこかで聞いたような人だけど?

ダンプテイ:奈良の久米寺の由緒書きには、こんな事が書かれていました。

空を飛ぶ術を身に付けた久米仙人が洗濯女の裾が風に吹かれて激しく吹上ており、そこにアレを見て、仙術を失い落下して、その娘と結婚して幸せに暮らしますが、聖武天皇の大仏殿建立の際に仙術をもって、大木巨石を東大寺境内に運び込んだのだとか!

その功を認められ、聖武天皇より久米寺の土地を与えられ、久米寺を建立したとされる。

どういうわけか、このお寺、飛行機墜落除けのお呪いを販売しているとか

チイ:女の股を覗きみて神通力を失って飛行力を失った久米仙人にあやかって、今度は、氷見浮事故を逆手にとっているとは、商売上手というか、

呆れますね、坊主商法というのは

ダンプテイ:仙人も女の色力には、其の力が発揮できなかったわけですが、同様に話は歌舞伎18番の鳴神にもありますね

鳴神上人は、世継ぎの居なかった天皇に対して、神社建立と引き換えに子供を授けたが、神社建立の約束が果たされなかったので、怒って、雨を降らす龍神を滝に閉じ込めてしまったために、干ばつに見舞われてしまった。

そこで、困った朝廷は、雲の絶え間姫を鳴神に送り込んで色仕掛けで、その尽力をなくさせたという話し

チイ:神も女に弱いというのは、僧侶も女に弱いと共通している。

ところで、この久米仙人の逸話を受けてか、後世には、

高い山から谷底みれば おまん(あんた)可愛いや布晒す

と、歌われている。

川で布を晒しているのを覗いてみている尻軽男の心を洗ってやろうという久米仙人を茶化しているのかしら?

ダンプテイ:そうですね、よく御存じですねぬ!

性典を仏典ともしている真言宗発祥の寺が大和高市郡久米寺ですから、同じ地区の「ぎっちょちょ}の民謡の元歌にもなっているわけですね!

この逸話は、今昔物語にあるもので、見世物出し物での絵や大もの人形の台座となったりしていた話ですね!

それに、伊勢物語にも水浴びをしている女の場面では、

何の葦蔭にことずけて ほや(男)の妻の鮨鮑(陰部)をぞ 心にもあらぬ 脛に上げて見せける

と、同じような女が男を誘惑するような場面が語られています。

チイ:伊勢物語には、女性も性に対しては、開放的というか、積極的に書かれていますね!

斉宮に仕える好色女房が

ちはやぶる神の斉垣(いがき)も超えぬべし大宮人の見まし欲しさに

ダンプテイ:さらに、大宮人に対しては、

玉門は物の心がなかりせば、頭も嫌わず水ひきなどのように、はせ出させて給ひける

チイ:ちはやぶるという枕言葉を聞いたら

在原業平の百人一種の歌を思い出します。

ちはやぶる神代も聞かず竜田川からくらくれないに水潜るとは

ダンプテイ:この歌は、落語にも登場しますね

龍田川を千春振られ、その妹の神代にも振られて、井戸に飛び込んでおぼれたとか!

色男歌仙と百で花紅葉

というように川柳でもはやされている。

チイ:これは、六歌仙では桜を百人一首では

紅葉を歌にした色男と教養ある歌詠みですね!

ダンプテイ:六歌仙は、

世の中に絶えて桜のなかりせば、春の心はのどけからまし

桜を女にと、置き換えても色男には通じる歌

同様な業平の和歌に

月やあらぬ 春は昔の春ならぬ

わが身ひとつは元の身にして 業平

わが身は、ひとつであるけれど、乞食旅人がいま見る春と都での政をしていた優雅な春の違いをうたっている。

ダンプテイ:業平は、神代からの助平男といわれていますから斉宮と業平との関係も伊勢物語には登場する。

業平が斉宮に逢えず、夜の帳でムンムンとしていると、月の朧なるに小さき童を先にして立てり、

君や越し我や行きけんむと思ほえず現か夢か寝てか覚めてか なんて業平が歌っている。

ところで、坊さんの話に戻りますが、このような性の秘め事を仏典の中に取り込んでいる真言宗密教では、セックスを認めて小柴垣草子の中で、宗教的な性の極意伝授が記載されている。

例えば、色男の致光とその女房のセックス場面を覗き見してオナニーをする斉宮の姿等――

マアー卑猥なダンプテイの話とチイが叫び、その物語、もう止めて頂戴

これからがダンプテイの語りのクライマックス!

御快美幾度か至りて、ああ、御声挙げ給へば、致光また二度三度ならず

熱噴きて深奥を射、灼熱ほとばして、死境を招く、止むとしてまた蘇り、陽物再起して更に深をえぐれば、随喜の玉水漏れて根極まるところ知らず、斉宮遂に声を挙げて性を尽くしたり。

注:心に響く日本の古典 山口将

これって、現代風にすれば、エマニエル婦人のポルノ小説ではないかとチイは思うわ!

それでも、ダンプテイの話は続く。

エマニエルは、物語に登場する架空の蛇のような巨大なセックスが我が身の最も深奥なところに到達するのを一生懸命手助けした。

それから身を蛇のようによじり、いがみつく首に爪を立て、喘ぎ、忌のない言葉を叫び続けた。

ところで、先程の蓮の中の絵の泥の中は、踏みところがなく、地獄とも思える蛇(泥の中の棒)が棲む怪しい世界だから、泥棒=泥坊の住む世界と言えます。

酔臥の 宿りはここか 蓮の花 良寛

水連に 声つつぬけの 寺の裏 波多野粉川

と蓮には、お寺の如何わしいイメージが漂っています。

そこで、こんな句を作りました。

仏道も かれん(花蓮)なるかな 恋心

こんな俳句を公表したら、仏教界からの追及にあって、ダンプティのバラバラ事件に発展し、絵のように、首が空を舞う独楽みたいに困ったことになってしまう!

とチイ、蓮池の上で泥舟に乗ったような危険な状態よ!

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少し、ダンプテイの悪フザケが過ぎて失礼しました。

ダンプテイ:ベトナムやタイでは、下足を脱で、茶色の色を纏った仏教徒がお寺で、頭を床にひれ伏してお祈りをしている風景をみて、仏にすがる文化は、ここに残されていると感じましたね!

チイ:ここでは、お坊さんは、女性とは肉体を接っしては、いけないという風習が強く残っていて、空港でも、お坊さん専用の待合室がある徹底ぶりです。

ダンプテイ:ところが、どうでしょう、先ほどのロビンさんの記事が本当かどうか分かりませんが、禅を導くものが、女性を導く猥褻的な行為に及ぶとは、現在の精神的文化では理解しがたいですが、禅師が導く仏の言葉も有り難くない気もしますね!

チイ:そんな話を聞くと、この写真の嶋野禅師が好色男のように見えて、

僧が人でも 心が憎い どうせ憎けりゃ 袈裟憎いですね!

徳川時代の風刺画に達磨遊女異相図というのがあって、達磨が女となり、娼婦が男の衣装としての戯画となったり、袋法師図では、法師が女房と色づいている絵が多く残されていますよ。 

このように、江戸時代は、世の中が平穏で、精神文化が低落している面もあります。

僧侶の世界では、美しい稚児を保有することが重宝されていたわけですから、こんな絵のような性的関係があったようです。        

こうもんも 有り難きかな もんどころ        

チイ:肛門と黄門、それに紋ところと門ところ掛ける言葉の巧みな表現!     

ダンプテイ:「前門の虎 こうもんの狼」という諺があるように、黄門様も狼となって、世界は、とかく恐ろしい。

しかし、僧侶の世界は治外法権、同穴の昵といって、男同士のなれ合いとして容認され、

寺院では、女侵には厳しい禁制がしかれていたが稚児の組織は認められ、なくてはならない僧侶の慰めとし、稚児なくしては、一人ねの慰めが出来ないとされ、寺院同士での稚児をめぐる争いもあったとか!

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左は、袋法師図、福禄寿と布袋のアナルセックス、ホノルル博物館蔵右は徳川時代の風刺画に達磨遊女異相図

:僧侶を詩にした詩人といえば、吉岡実さんの僧侶の詩 少し引用させて頂きます。

四人の僧侶 

庭園をそぞろ歩き
ときに黒い布を巻きあげる
棒の形
憎しみもなしに
若い女を叩く
こうもりが叫ぶまで
一人は食事をつくる
一人は罪人を探しにゆく
一人は自瀆
一人は女に殺される

ところで、前の絵画、侵されている福禄寿の頭が男根として描かれており、戯れる布袋様も宗教と性との関係を風刺している、「仰げば、尊しわが師の恩」と、わが誕生の根源をお祈りいたしましよう! 

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チイ:あまり立派な男根だから、仰いだりするのかしら、それに男根は、先祖様だからわが師の恩と仰ぐのかしら!

今の卒業生は、「仰げば尊し」ではなくて、良い日旅立が歌われることが多くて、洒落にならないわ!

ダンプテイ:「仰げば尊し」を卒業式で歌わなくなったのは、どうやら、先生を仰ぎ見ることがすくなくなったからだって!

チイ:先生を友達世張りする生徒が多くなったからかしら?

ダンプテイ:いえいえ、今は、先生が権威主義を生徒にかざすのは、よくないと、教壇なるものが無くなって、更に、子供の成育も高まり、先生のほうが生徒を見上げなくてはならない時代だからですよ

チイ:これでは、先生の権威などあったものではないわね

三尺下がって師の影を踏まず

という諺は、忘れ去られつつあるのは、悲しいが、を歌わなくなったのは、

身を立て名をなす」 は、立身出世に繋がり、それに、「わが師の恩という恩着せがましい」と、いう理由らしいが、何か好きなことで、一流になり、名をすこと、例えばイチロウのようになりたいとか、ノーベル賞をとりたいとか、一流の棋士になりたいとか、希望をもって大人になっていく気持ちが、何故いけないのか、それに世話になった人に感謝の言葉を述べて、別れるのが何故いけないのか不思議ですね!

仰げば尊しわが師の恩

教えの庭にははや幾つ年

思えばいととしこの年月

今こそ分かれ目いざさらば

人生の生き方や高い価値感を学んだのであれば、その先生に感謝の気持ちを歌を歌って涙するのが先生と生徒の関係ではないにかと思いますが!どうやら先生も生徒や父兄の使用と争いをさけようと君が代を詠うのを避けているようにも思われます。

卒業歌 あの先生が泣いている 江隅順子

なんて、素晴らしい風景では、ないですか!

もっと、子供を叱咤激励するように、そして他人に感謝する気持ちを持つよう、この「仰げば尊し」を歌わなくちゃ!

チイ:「仰げば尊し、わが師の恩」が、戦争や天皇尊重の思想を反映したものであるとして拒否されている動きも、「仰げば尊しわが死の恩」と繋がっている意味の響きがあるからともされる。

母娘の関係もおなじで、子供は親を友達みたいに見るようになり、親の権威や生き方を尊ぶ心が失なわれつつあるのも悲しいことですね!

父として 幼き者は見上げおり

願わくは金色の獅子と映れよ  佐々木幸綱

ダンプテイ:ところで、先程の布袋様の話に戻るけど、布袋様もこんな句を愛でているかもしれません。  

有り難き ほとけの加護の 夜のつとめ       

尼寺に 法師も寝たり 萩と月             

注:基句は、芭蕉の一家に遊女も寝たり萩と月     

坊主は、仏様だからこんな淫らな行いをしても

神の乱れもないし、坊主だから髪もが乱れることがないわね!

チイ:これが、乙女のチイだったら

長からむ心も知らず黒髪の乱れて今朝はものをこそ思へ 待賢問院堀川 

ロンさんのような禿坊主だったら 、

長からむ心も知らず墨袖の乱れてけさはものをこそ思へという感じの乱れようですね!

チイ:墨袖の袈裟と今朝とを掛詞が乱れているなんて、夜中の乱れようを示唆して憎らしい!

それこそ、袈裟が乱れるほどの戯れをなさっても

お神のお怒りもないとは、坊主まるもうけ!

ダンプテイ:やってみてやらせてみて褒めてやらねば人は育たぬ

と、仏の説教も体験指導で、山本五十六の教育方法を仏教界では取り入れてらっしゃる。